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プロ野球仰天伝説

【プロ野球仰天伝説17】ヘルメットのない時代に帽子に布を縫い込んでいた飯田徳治

 

長いプロ野球の歴史の中で、数えきれない伝説が紡がれた。その一つひとつが、野球という国民的スポーツの面白さを倍増させたのは間違いない。野球ファンを“仰天”させた伝説。その数々を紹介していこう。

異名は“ホトケの徳さん”


写真のように帽子の内側に布を縫い込んでいた飯田


「ケガや病気で試合に出られないのは選手の恥です」と飯田徳治。練習熱心で、正確は謹厳実直、“ホトケの徳さん”の異名があった(本人は「顔がそう見えるだけでしょ。本当は、いろいろありますよ」と言っていたらしい)。

 堅実な一塁守備と勝負強い打撃で、南海黄金時代に四番にも座り、1948年から国鉄移籍後の58年5月24日、試合中にアキレス腱を断裂するまで、連続試合出場記録1246試合も達成している。足も速く、57年には国鉄で盗塁王に輝き、通算でも390盗塁をマークした。

 とにかく体のケアに気を配り、食事はバランスを考え、酒もほとんど飲まず、麻雀もせず。ベテランになると時間があれば昼寝をしていた。非常に几帳面で夫人に毎日、帰宅時間を告げてから外出し、試合が極端に延びたとき以外は、その時間ピッタリに帰ってきたという。

 そんな飯田が一番気を付けたのが死球だ。避けるのがうまく、17年間で1965試合に出場しながら死球は20にすぎない。それでも心配だったらしく、写真のように帽子の内側に布を縫い込んでもらい、頭部を守った。もちろん、ヘルメットなどなかった時代の話である。

飯田徳治(いいだ・とくじ)
1924年4月6日生まれ。神奈川県出身。旧制の浅野中から東京鉄道局を経て47年にグレートリング(のち南海)入団。51年から2年連続打点王、52年から6年連続で40盗塁以上。55年にはMVPに。57年に国鉄へ移籍すると、40盗塁で初の盗塁王に。48年から1246試合連続試合出場は当時の最多記録だった。63年限りで現役引退。その後はサンケイ、南海で監督も。81年野球殿堂入り。2000年6月19日死去。主なタイトルはMVP1回、打点王2回、盗塁王1回。通算成績1965試合、1978安打、183本塁打、969打点、390盗塁、打率.284。

写真=BBM
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