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編集部員コラム「Every Day BASEBALL」

星野仙一氏の「終い方」

 

「トレードをするならチームが好成績のときにすべき」


監督時代、選手の“生かし方”を常に考えていた


 1月4日、膵臓(すいぞう)ガンで亡くなられた星野仙一氏。追悼特集で過去の資料を見たり、関係した方々の話を聞いたりした中で感じたのは、常に「終い方(しまいかた)」に対する強い意識を持っていた人だな、ということである。

 それは自身についてだけではない。というより、自身の引退時、退任時……あまり言葉は多くなかった。それもまた、美学だったのか、監督時代は球団からの「健康上の理由」としかリリースがなかったこともある。

 ただ、指揮官時代、選手たちに対しての言葉は、昔の誌面や関係者の言葉で残る。

 87年の第1期中日監督時代、谷沢健一ら多くのベテラン選手に引導を渡し、若き守護神・牛島和彦らを放出してまで4対1のトレードでロッテから落合博満を獲得するなど、血を流しての大胆なチーム改革を進めた。傍目からは非情とも映ったが、必ずしもそうではなかった思う。

 週ベの記事の中で、トレードに関して、こんなことを言っていた。

「トレードをするならチームが好成績のときにすべき。好成績のときは他チームの評価が高くなり、低迷時には買いたたかれるからな」

 その選手はチームに残ったほうがいいのか、移籍先の球団のほうがより輝くのか、あるいは引退したほうがいいのか。コワモテを装い(?)ながら、必死に考えていたのだろう。

 87年限りで中日から日本ハムに移籍した大島康徳氏は、本誌のコラムで、こんなことを書いている。一部を抜粋し、つなぎ合わせる。

「若手時代に一番お世話になった方で、人間的にもすごく尊敬しています。だから87年に仙さんが監督になると、仙さんを男にしたいと、マックス100で行ったけど、それが空回りになって春先からまったく打てなかった。

 仙さんも、どこかで僕に見切りをつけようと思っていた気がします。チームを変えるためにもベテランは切らなきゃ、と思っていたはずですが、僕に関しては、その前に100打席か50試合か分かりませんが、チャンスをやろうと思っていた気がします」

 実際、春先は多少打てなくても使い続けたが、ある時点から逆に調子が上がってもスタメンではなかなか使わなくなった。

 夏場、おそらくは見切りをつけた後だが、大島氏が代打で逆転2ランを打ちながらリリーフ陣が打たれて負けてしまった後、星野監督が、「不振の大島が打ったのに、どうして抑えてやれないんだ!」とすごい剣幕で怒ったという逸話もあった。
 深読みしすぎかもしれないが、大島のトレードをすでに心に決め、活躍することで、少しでもいい条件で移り、移籍先にも厚遇されてほしい、という思いもあったのかもしれない。
 大島氏は続ける。
「今でも思います。仙さんのためにもっともっと打ちたかったと」


「“着地点”という言葉をよく使っていた」


昨年、ナゴヤドームで行われた野球殿堂入りの表彰式に出席した(左は熊崎勝彦前コミッショナー)


 星野氏とともに中日投手陣の軸として活躍し、星野監督3年目の89年限りで引退した鈴木孝政氏は、「仙さんは“着地点”という言葉をよく使っていた」と振り返る。

「(88年の)日本シリーズの後、名古屋に向かう新幹線で呼ばれ、『座れ』と言われたけど、ずっと黙ってる。何を言いたいかは分かっていたけど、俺からは言えないしね。それで名古屋が近くなったら『どうするんや』と一言。たぶん俺には優勝を花道に、と思っていたんだろう。優勝してやめたほうが、その後の人生にもいいだろうと思ってくれたんだろうね。それまでも選手としての着地点みたいな話はよく言っていたから。でも、俺が『もう1年やらせてください』って言ったら、『分かった。来年は好きにせえ』と…」

 翌年の現役ラストイヤー、鈴木氏は開幕から二軍だったが、くさることなく投げ続け、後半になって一軍に上がった。ただ、そのとき星野監督から「もう何があっても下げない」と言われ、「ああ、やめなきゃいけないな」と思ったという。

 星野氏が監督となった87年は、鈴木氏は年齢、故障もあってかなり力が落ちていた。当時のエースは小松辰雄氏。その姿を見て、うらやましいという思いもあったという。

「アニキみたいに慕った仙さんが監督になった。俺も小松みたいに脂が乗りきった時期に、星野さんのもとで一生懸命投げたいと思った。5年遅く生まれていたらって本気で思ったよ」

 鈴木氏の話を聞き、涙が出そうになった。

 2017年、星野氏は野球殿堂に入り、オールスター、しかもかつての本拠地ナゴヤドームでの表彰式で、ファンにあいさつ。年末には殿堂入りを祝う会を東京と大阪で行い、多くの仲間、後輩、恩人たちへの別れをしっかり済ませ、家族が見守る中で静かに息を引き取った。

 超高齢化時代の中、「終活」という言葉が盛んに言われるようになったが、さすが星野仙一、見事な人生の終い方だった。

文=井口英規 写真=BBM
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