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プロ野球仰天伝説

【プロ野球仰天伝説20】外野手が前進した中西太の特大場外ホームラン

 

長いプロ野球の歴史の中で、数えきれない伝説が紡がれた。その一つひとつが、野球という国民的スポーツの面白さを倍増させたのは間違いない。野球ファンを“仰天”させた伝説。その数々を紹介していこう。

怪童と呼ばれた伝説の強打者


本塁打王には5回、輝いた中西


 すさまじい打球スピードを誇った怪童・中西太(西鉄)。けんしょう炎に苦しみ、全盛期は短かったが、名将・三原脩をして「打球のスピードに関しては、中西の前に中西なく、中西のあとに中西なし。球界のためにも不幸な故障だったと惜しまれる」と断言せしめる伝説の強打者だ。

「ファウルチップを打つと、球から焦げ臭い匂いがした」というほどの猛烈なスイングからの打球は、角度があまりつかないライナー性となることが多かった。それを内野手が捕れると思ってジャンプし、外野手が低いと思って前進するような角度から、グン・グン・グンと三段階で伸びていき、右中間スタンド、あるいは場外に消えていった。ゴロを打った際、内野手がグラブも出せず足に当てケガをしたという話もある。

 1953年8月29日、当時、史上最長とも言われた160メートル級のホームランを平和台で大映・林義一から放ったことがあるが、中西は打球が低過ぎてフェンスに当たると思って全力疾走。だから「打球は見てないんだよ。どのくらい飛んだか分からんから、自慢もできん(笑)」と話している。

 なお、平和台球場では、一時、中堅後方の通過点に標識を立てていた。

中西太(なかにし・ふとし)
1933年4月11日生まれ。香川県出身。高松一高から52年に西鉄入団、新人王に輝くと、翌53年に36本塁打、86打点で本塁打王、打点王の2冠。以降55、56、58年と三冠王に迫る活躍で、西鉄黄金時代を支えた。56年にはMVP。62年に監督兼任となり、63年には優勝も。69年限りで現役引退、監督も退任した。その後は名打撃コーチとして多くの好打者を育てる。99年野球殿堂入り。主なタイトルはMVP1回、新人王、首位打者2回、本塁打王5回、打点王3回。通算成績1388試合、1262安打、244本塁打、785打点、142盗塁、打率.307。

写真=BBM
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