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背番号物語

【背番号物語】「#26」江夏豊ら逆境に輝く好投手の魂

 

背番号は選手たちの「もうひとつの顔」だ。ある選手が引退しても、またある選手がその「顔」を受け継ぐ。その歴史を週刊ベースボールONLINEで紐解いていこう。

不屈の投手たち



 中日の初代は石丸進一。1941年に兄の藤吉がいた名古屋に入団し、その兵役で空いていた二塁手に。兄の復員もあって2年目から投手に回り初登板初完封、3年目にはノーヒットノーランも達成したが、そのオフに応召。特攻隊に志願し、終戦から約3カ月前、南海上で戦死した。多くのプロ野球選手が戦火に消えたが、特攻で散った唯一の選手だ。

 戦後、その魂を受け継ぐかのように多彩な好投手が「26」を背負ったが、逆境に立ち向かい、独特の光を放った不屈の投手たちばかりだ。エリート系は巨人内海哲也DeNA濱口遥大ぐらい。内海はエースの称号にこだわり、一時期はエースとして君臨。初代でもある祖父の背番号を“相続”した珍しいケースでもあるが、その内海もまた、近年は故障や不振に苦しみ、復活に選手生命を懸ける。

【12球団主な歴代背番号「26」】
巨人 内海五十雄中村稔西本聖西山一宇、内海哲也☆

阪神 奈良友夫渡辺省三工藤一彦江草仁貴呂彦青☆(2018〜)

中日 石丸進一、徳永喜久夫佐藤政夫落合英二井領雅貴

オリックス 藤井道夫小林晋哉伊藤隆偉岩下修一東明大貴

ソフトバンク 村上一治藤田学松中信彦川原弘之吉住晴斗☆(2018〜)

日本ハム 久保田治、江夏豊、西村基史糸井嘉男淺間大基

ロッテ 坂本文次郎、大塚弥寿雄、小俣進小川博和田孝志

DeNA 宮崎剛近藤和彦田代富雄佐伯貴弘、濱口遥大☆

西武 河合保彦金森栄治鹿取義隆星野智樹川越誠司

広島 木下強三、江夏豊、山本和男廣瀬純中田廉

ヤクルト 石岡康三井原慎一朗秦真司河端龍久古健太郎

楽天 有銘兼久金刃憲人渡辺直人☆(2018〜)
(☆は現役)

「26」の黄金期


大洋・田代富雄


 2018年の欠番は「ファンの背番号」として準永久欠番となっているロッテのみだが、70年代後半から90年代にかけてが「26」の最盛期だ。

 阪神に放出され、南海も“お家騒動”に巻き込まれて退団、79年に広島へ流れ着き、日本ハムと2チームで「26」を着けて“優勝請負人”と呼ばれたのが江夏豊。ほぼ同時期には巨人に西本聖がいる。ドラフト外から這い上がり、魔球とも言われたシュートと“怪物”江川卓への激しい負けん気を武器に、特に日本シリーズの大舞台では燃えに燃えて、2度にまたがって29イニング連続無失点の好投を見せた。

 巨人で登板機会が減った鹿取義隆は西武で「26」となって再起、90年代のリーグ5連覇を支えている。

 さらに、大洋には少数派の打者で“オバQ”田代富雄がいた。本塁打だけでなく三振も量産、引退試合の最終打席で満塁本塁打を放った豪快な長距離砲だ。ドラフト1位で17年に入団した濱口が着けたことで途切れたが、DeNAは長く好打者がリレーしてきた唯一のチームで、田代の前任者は頭上にバットをかつぐように構える“天秤棒打法”の近藤和彦。後継者は佐伯貴弘で、01年に「10」へ“出世”したが、低迷すると「最後は、この番号で終わろう」(佐伯)と07年に「26」へ戻して、復活の打率3割をマークした。

 他のチームでは、松中信彦がダイエーで、糸井嘉男が日本ハムで、それぞれ若手時代に着けて飛躍した。少数派ながら「26」は打者のラッキーナンバーと言えるかもしれない。

写真=BBM
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