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背番号物語

【背番号物語】「#31」最後の“ミスター・タイガース”掛布雅之の象徴

 

背番号は選手たちの「もうひとつの顔」だ。ある選手が引退しても、またある選手がその「顔」を受け継ぐ。その歴史を週刊ベースボールONLINEで紐解いていこう。

阪神は好打者の系譜



 中距離打者タイプながら、阪神の四番打者という重い看板を背負ってホームラン狙いに徹した。1985年に21年ぶりのリーグ優勝、初の日本一でも不動の四番打者。1980年代を過ごしたプロ野球ファンにとっては、阪神ファンならずとも、この掛布雅之の印象が強烈なのではないだろうか。

 2016年に二軍監督として28年ぶりにタテジマのユニフォームを着た掛布が「31」を背負ったことは序章でも触れたが、阪神は初代となるスイッチヒッターの堀尾文人から、韋駄天の河西俊雄、爪楊枝をくわえた姿がトレードマークだったカークランドら、掛布の現役引退後も広澤克実や濱中おさむら好打者が並ぶナンバーだ。迎える2018年は欠番となる。

【12球団主な歴代背番号「31」】
巨人 三原修(監督、総監督)、山下司水野雄仁三沢興一松本哲也

阪神 堀尾文人、河西俊雄、カークランド、掛布雅之、広澤克実

中日 長島甲子男高木時夫石井昭男森野将彦野本圭

オリックス 田中照雄岡本一光柴原実塩崎真小谷野栄一

ソフトバンク 鶴岡一人(監督)、阪田隆柴原洋佐藤誠栗原陵矢

日本ハム 安藤順三田口昌徳、小谷野栄一、岡大海村田透

ロッテ 若生智男吉岡悟高沢秀昭渡辺俊介菅野剛士☆(2018〜)

DeNA 大石正彦古田忠士(忠司)、屋鋪要吉村裕基柴田竜拓

西武 河野昭修永射保森山良二小関竜也與座海人☆(2018〜)

広島 横溝桂深沢修一前田智徳小畑幸司石原慶幸

ヤクルト 藤田宗一奥宮種男橋上秀樹真中満山崎晃大朗

楽天 藤井彰人美馬学
(☆は現役)

勝負強き韋駄天たち


大洋・屋鋪要


 掛布の同時期には大洋に屋鋪要がいた。球界屈指の韋駄天で、足と中堅守備だけの選手というイメージだったのが、近藤貞雄監督に勝負強い打撃を見いだされて阪神Vイヤーの85年に高木豊加藤博一に続く“スーパーカートリオ”で三番打者となり、本塁打、打点、盗塁でキャリアハイをマークした“3号車”だ。

 一方のパ・リーグには、88年の“10.19”第2試合で同点本塁打を放って近鉄の夢を打ち砕いたロッテの“走る四番打者”高沢秀昭がいた。好打者の系譜では、ヤクルトの真中満、ダイエーの柴原洋や日本ハムを経てオリックスで現役の小谷野栄一らが続く。

 80年代は両リーグの盟主とも言うべき巨人と西武に好投手がいて、巨人では江川卓の「30」に続く投手との期待を受けた水野雄仁が背負い、西武では永射保が着けてパ・リーグの左打者への脅威となった。

 また、ロッテでは21世紀に入って「世界一リリースポイントが低い」と評されたサブマリンの渡辺俊介が継承。「31」の系譜で異色の存在だ。

 最長は東映で“暴れん坊”たちの司令塔として17年にわたって背負い続けた安藤順三。捕手も散見される背番号でもあり、現役では広島にベテランの石原慶幸がいる。

 古くは、監督の「30」に続くナンバーのため、監督が着けることもあった。巨人では兼任監督で「30」だった中島治康が選手に専念するため、助監督だった三原修が「31」のまま監督に。“三原排斥運動”で総監督に追いやられた50年まで着けた。

 南海の鶴岡一人は長く「30」で指揮を執っていたが、65年オフに新監督となった蔭山和夫の急死を受けて「31」として復帰している。

写真=BBM
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