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プロ野球仰天伝説

【プロ野球仰天伝説27】相手を殴っても退場にならなかったのは大杉勝男のパンチが速過ぎたから

 

長いプロ野球の歴史の中で、数えきれない伝説が紡がれた。その一つひとつが、野球という国民的スポーツの面白さを倍増させたのは間違いない。野球ファンを“仰天”させた伝説。その数々を紹介していこう。

カーッとなった大杉が右ストレート


両リーグで1000安打も達成した


 本気でケンカをしたら球界最強といわれたのが、東映時代の大杉勝男だ。さまざまな武勇伝が残る選手だが、その最たるものが、“ボレスKO事件”だろう。ちなみにボレスは近鉄、西鉄に在籍した助っ人。顔は相当、怖い。

 戦いのリングは1970年4月28日、東映−西鉄戦(後楽園)だった。タッチアップで一度サードに向かってから二塁に戻った走者のボレスと、ベースカバーに入った一塁手の大杉が衝突。押し合いのなか、ボレスのパンチが額をかすった。その瞬間、カーッとなった大杉が右ストレート。これがまともにアゴに入り、ボレスは口から血を流しながらグラウンドに崩れ落ちた。

 ただ、なぜか乱闘にもかかわらず、退場はなし。ホントかどうか定かではないが、大杉のパンチがあまりに速過ぎて審判が見えなかったらしい。ボレスも完敗を認めてか、立ち上がると大杉と握手。なんだかさわやかな結末となった。

 この日、大杉は4打数4安打の大当たり。記者から「もう一発決まったから5安打でしょ」と言われ、苦笑い。なお2人は後日、戒告。見逃した審判には厳重注意の処分が下っている。

大杉勝男(おおすぎ・かつお)
1945年3月5日生まれ。岡山県出身。関西高から丸井を経て65年に東映(のち日拓、日本ハム)へ入団。70年には44本塁打、129打点で打撃2冠、翌71年には41本塁打で2年連続本塁打王、その翌72年は101打点で2度目の打点王。75年にヤクルトへ移籍し、史上初の両リーグ1000安打を達成した。83年限りで現役引退。92年4月30日死去。97年野球殿堂入り。主なタイトルは本塁打王2回、打点王2回。通算成績2235試合、2228安打、486本塁打、1507打点、32盗塁、打率.287。

写真=BBM
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