長いプロ野球の歴史の中で、数えきれない伝説が紡がれた。その一つひとつが、野球という国民的スポーツの面白さを倍増させたのは間違いない。野球ファンを“仰天”させた伝説。その数々を紹介していこう。 史上最高の遊撃守備
堅守を誇った吉田
牛若丸と言われ、史上最高の遊撃守備を誇った
阪神・
吉田義男。アマ時代から抜群のうまさを誇ったが、天性だけではなく、努力の人でもあった。心掛けたのは、できるだけボールを所持する時間を短くすること。つまり捕ってすぐ投げるということだ。
その技術と感覚を磨くため、ふだんからグラブをつけ、ボールを扱い続けた。練習の合間にフェンスやトタン板にぶつけ、寮では壁にぶつけ、隣の部屋の先輩から「うるさい」とずいぶん怒られたこともある。
松木謙治郎監督には「吉田はメシを食っているときも、グラブとボールを離さん」と言われたが、吉田は「さすがにそれでは食べられませんわ」と笑っていた。
感覚的にはグラブに入った瞬間に右手で握る。まだ球が動いているから、よく突き指もした。
吉田をカナメとして阪神の内野陣は、1球1球、投手の投げるコースに合わせてポジショニングを取り、鉄壁を誇った。そのため、
村山実のようにひらめきでサインと違うコースに投げる投手とはずいぶん衝突もした。
一塁手の
遠井吾郎は吉田の送球があまりに速く(タイミングも球速も)、何度も捕り損ない、「もっとゆっくり投げてください」と頼んだこともあったらしい。
吉田義男(よしだ・よしお)
1933年7月26日生まれ。京都府出身。山城高から立命大へ進むも1年で中退し、53年に阪神入団。しぶとい打撃と華麗な守備で1年目から正遊撃手の座を確保し、“牛若丸”とも呼ばれた。54年と56年に盗塁王、55年にはリーグ最多安打も記録。69年限りで現役引退。2度目の阪神監督となった85年にはチームを21年ぶりのリーグ優勝、初の日本一へ導いた。92年野球殿堂入り。主なタイトルは盗塁王2回。通算成績2007試合、1864安打、66本塁打、434打点、350盗塁、打率.267。
写真=BBM