長いプロ野球の歴史の中で、数えきれない伝説が紡がれた。その一つひとつが、野球という国民的スポーツの面白さを倍増させたのは間違いない。野球ファンを“仰天”させた伝説。その数々を紹介していこう。 広島機動力野球の象徴
常に次塁を狙っていた高橋
広島機動力野球の象徴と言われ、甘いマスクで絶大な女性人気を誇った
高橋慶彦。ただ、決して天才肌の男ではない。プロ入り後に挑戦した遊撃守備、スイッチに必死で取り組んだ。慣れない左でバットを振って振って振りまくり、朝起きたときは手がバットを握った状態で固まって、指を一本一本引っ張り、手が開くようにするところから1日が始まったという。
その代名詞となったのが果敢な盗塁だ。1979、80年とチームが連覇したとき、いずれも盗塁王ながら、盗塁刺もリーグ最多。ただ、「それは気にしなかった」という。
「盗塁は成功率というより、どのカウントで走り、それが得点に結びついているかを調べたら面白いと思うよ。俺は塁に出たら絶対盗塁するというのがあった。警戒されたら走らないとか球種を選んだりという人がいるけれど、それじゃ次の打者が困る。走ると警戒されたほうがバッターもストレート系が多くなるし、投手の気も散るしね」
黄金時代の広島は、この状況では打者が何を狙い、走者がどう動くかが、全員の共通認識になっていた。だから、盗塁失敗も本当の失敗と問題ないときの両方があった、ということだろう。
高橋慶彦(たかはし・よしひこ)
1957年3月13日生まれ。東京都出身。城西高からドラフト3位で75年に広島入団。2年目の76年にはスイッチヒッターに挑戦、78年に正遊撃手となり、翌79年に盗塁王、日本記録の33試合連続安打などの活躍で優勝、日本一に貢献した。翌80年には38盗塁で2年連続盗塁王、85年には自己最多の73盗塁で3度目の盗塁王に輝く。90年に
ロッテへ、91年には
阪神へと移籍し、92年限りで現役引退。主なタイトルは盗塁王3回。通算成績1722試合、1826安打、163本塁打、604打点、477盗塁、打率.280。
写真=BBM