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背番号物語

【背番号物語】「#43」勝利の方程式を担うリリーバーの看板

 

背番号は選手たちの「もうひとつの顔」だ。ある選手が引退しても、またある選手がその「顔」を受け継ぐ。その歴史を週刊ベースボールONLINEで紐解いていこう。

セットアッパーの地位向上とともに



 中継ぎ投手には、かつては先発として失格の烙印を押され、抑えの切り札としても信頼されない投手、という負のイメージがつきまとっていた。先発投手は完投が当たり前だった時代から、徐々に投手の分業制が進み、1990年代に入ると、中継ぎ投手を対象としたタイトルが誕生する。「43」の投手に光が当たるようになったのも、ちょうどそのころだ。

 阪神・淡路大震災が発生した95年、被災した神戸に本拠地を置くオリックスへ移籍して、中継ぎとしてリーグ優勝に貢献したのが鈴木平だ。日本一イヤーの翌96年にはクローザーも務めた。

 ホールドが両リーグで公式記録となった2005年に移籍してきて“初代”ホールド王となったのが菊地原毅広島でも中継ぎとして当時のプロ野球記録だったシーズン78試合に投げまくった左腕だ。

 中日で99年に着けた小笠原孝は先発としても活躍し、黄金時代に不可欠な存在となる。14年間も「43」を背負い続けた少数派だ。

【12球団主な歴代背番号「43」】
巨人 南温平高橋明大北敏博鈴木康友重信慎之介

阪神 横山光次宮内仁一(直二)、上坂太一郎西村憲守屋功輝

中日 千原陽三郎平田恒男遠藤政隆、小笠原孝、三ツ間卓也

オリックス 渡辺守、田島克彦、鈴木平、菊地原毅、山本由伸

ソフトバンク 配島久美岩木哲坂口千仙ガトームソン江川智晃

日本ハム 福島郁夫、カールトン半田(コーチ)、西俊児増井浩俊白村明弘

ロッテ 土肥健二柴原浩(弘始)、ウォーレン、ミンチー、黒沢翔太

DeNA 松島英雄村岡耕一横山道哉北篤進藤拓也

西武 北原啓蓬莱昭彦横田久則水尾嘉孝高橋朋己

広島 深沢修一榊原聡一郎、ブラウン、ミンチー、土生翔平

ヤクルト 佐々木重徳上水流洋阿井英二郎宮出隆自村中恭兵

楽天 徳元敏寺田龍平小斉祐輔ミコライオ宋家豪☆(2018〜)
(☆は現役)

“疑惑”の助っ人投手


ロッテ・ウォーレン


 日本ハムでは増井浩俊が「43」のセットアッパーとして頭角を現して「19」に。打者でも古くは近鉄の大石大二郎が「43」で初の盗塁王に輝き、「4」でチームの主軸となった。

 現役でも多くの選手にとって出世番号となる可能性を秘めるが、一方で“復活番号”の印象もある。筆頭格はセ・リーグでは村中恭兵、パ・リーグでは高橋朋己だろう。「15」の先発として活躍していた村中は故障に苦しみ、「43」の中継ぎとして16年に復活した。クローザーの高橋も故障で手術を受けて、迎えた18年の完全復活を期している。

 打者では右の代打としてソフトバンクを支える江川智晃。若手では巨人の重信慎之介がいて、職人タイプの遊撃手だった鈴木康友の後継者だ。その系譜をさかのぼると先発タイプの投手で高橋明がいる。63年から2年連続2ケタ勝利も、V9時代に入ると急失速、西鉄へ移籍した1年目に14勝を挙げた意外性の右腕だ。

 外国人投手の存在感も際立っている。広島とロッテで一貫して背負い続け、両リーグで2ケタ勝利を挙げたのがミンチー。ロッテの前任者はウォーレンで、たびたび不正投球疑惑もあったリリーバーだ。飲む育毛剤が原因でドーピング疑惑にさらされたのがソフトバンクのガトームソン。警告を受けながらも服用をやめなかったためで、同様の悩みを抱える男性を中心に、疑惑は同情に変わった(?)。

写真=BBM
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