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追悼・星野仙一

追悼企画13/星野仙一、野球に恋した男「青年監督、仇敵・巨人を挑発」

 

 星野仙一さんは、いつも言っていた。「俺はベースボールの取材は断らん」。実際、ほとんど断られたことはない。恥ずかしい話だが、テレビ局などに比べれば、ウチのギャラなど雀の涙……。おそらく、球界にとっての専門誌の重要さを評価してくれていたのだと思う。そういった俯瞰(ふかん)した見方ができる方だった。
 星野さんの追悼号制作の中で、たくさんの資料を見て、たくさんの方から話を聞いた。それがあまりに膨大なので、これから毎日になるか、数日に1回になるか分からないが、追悼号には入りきらなかった話を当時の『週べ』の記事の再録も交えながら紹介していきたい。(以下は敬称略)

「巨人は小粒になった」


衝撃的だった落合のトレード


 引退後、ユニフォームを着ずに評論家生活に。ただ、徐々に心の中に怒りのようなものが生まれ、それが現役時代のようにカッカと燃え始めた。

 愛する中日の低迷である。

「どうもそれまでの中日ドラゴンズと違う、サラリーマンの野球になってしまっている。勝とうという意欲が薄れ、執着心もなくなっている。それまでは家庭的なチームではあったけれど、一方では個性派の集まりだった。だから名古屋の人たちに愛されたんです」

 1986年オフ、中日から監督として声がかかる。勇む気持ちとともに、迷いもあった。

「本当を言うと戻りたくなかったんです。NHKの解説の仕事、放送が面白くてしようがなかったから。でも名古屋の人に、戻ってこいと言われたら召集令状みたいなものです。よし、たたき直してやろうかと」

 背番号はNHKの解説者時代にお世話になった川上哲治が監督時代に着けた「77」にした。

 就任時40歳を目前にしていた青年指揮官は、オフから早くも主役となる。ドラフト会議では享栄高の近藤真一を引き当て、ロッテの三冠王・落合博満を若き守護神・牛島和彦らを放出してまで獲得した。

 就任当時のインタビューでは、早くもエンジンがかかり、仇敵・巨人を挑発している。

「僕らが必死に戦ったころのV9時代の巨人に比べれば今の巨人は小粒になりましたよ。でも、今のセ・リーグ全体を見ると一番いい戦力だと思う。客観的に見てね。V9時代の力を知っているから、どうしても今の巨人と比較しようとする。そのへんに錯覚がある。ただ、僕が現役投手として戦ったのは“巨人軍”だった。いまのチームは同じ“巨人グン”でも“グン”が違う。“巨人群”なんです。“群”……ムレに過ぎんのですよ、今は」

<次回へ続く>

写真=BBM
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