長いプロ野球の歴史の中で、数えきれない伝説が紡がれた。その一つひとつが、野球という国民的スポーツの面白さを倍増させたのは間違いない。野球ファンを“仰天”させた伝説。その数々を紹介していこう。 誰もが認める天才
球を速いと感じたこともほとんどなかったという
巨人・
篠塚和典(利夫)は故障もあって2000安打には届いていないが、“ヒットを打つ技術”は誰もが認める天才だった。
どんな球でもバットに当てる自信があったという篠塚は「2ストライクと追い込まれても焦ることはなかった」と言い切る。また、「ボールを速いと感じたことは、ほとんどない。津田(恒美。
広島)や与田(剛。
中日)でもタイミングを取れないことはなかった」とも。
さらに「ピッチャーがトップの位置に入ると同時にバッティングのトップを作っていました。そして、いつでも振れる準備をする。そうすれば振り遅れることなんてありません」と、事もなげに言うのもまた、天才ゆえだろう。
篠塚はヒットの可能性を練習からすべて追求していた。コースに逆らわずではなく、インコースを右にも左にも打ち、フィールドすべてを使う。詰まっても、泳いでもヒットゾーンに飛ばす打ち方を体に覚え込ませた。仮に先に当たっても、ヒットにしたいからとバットの先は角張らせて、そこに当ててヒットを打つ練習もした。
そして、そこまでやった上で言う。
「データは一切見ませんでした。来たボールを打つのが一番です」
篠塚和典(しのづか・かずのり)
1957年7月16日生まれ。千葉県出身。銚子商高からドラフト1位で76年に巨人に入団。5年目の80年に二塁の定位置を確保すると、翌81年には打率.357の大活躍でリーグ優勝、日本一に貢献。84年と87年には首位打者に輝いている。94年限りで現役引退。76年から92年6月30日の登録名は「篠塚利夫」。主なタイトルは首位打者2回。通算成績1651試合、1696安打、92本塁打、628打点、55盗塁、打率.304。
写真=BBM