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プロ野球仰天伝説

【プロ野球仰天伝説44】死球の仕返しにピッチャー返しで東尾にぶつけた門田博光

 

長いプロ野球の歴史の中で、数えきれない伝説が紡がれた。その一つひとつが、野球という国民的スポーツの面白さを倍増させたのは間違いない。野球ファンを“仰天”させた伝説。その数々を紹介していこう。

ライバルとスリリングな戦い


豪快なフルスイングも魅力だった門田


 パ・リーグ80年代の華は、個と個の対決だった。南海・門田博光は、それに徹底的にこだわったバッターの一人だ。ライバルは阪急・山田久志ロッテ村田兆治、近鉄・鈴木啓示西武東尾修。彼らは何度も繰り返す戦いのなかで、門田がどこを狙っているか分かっていた。

 分かった上で、そこに門田の予想を超える球を投げようとした。結果は、空振りかホームラン。いつも“やるか、やられるか”のスリリングなものとなった。

 東尾とは、ある試合で“妙な方向”に行ったことがある。1打席目、死球を食らう。東尾は際どい球でのけぞらせ、外のスライダーで勝負するタイプだった。別にそれが悪いわけではないが、門田は以後の3打席を捨て、東尾に当て返そうと思った。内角ならこう打つ、外角ならこう打つ。ネクストでも、そのためのバットの角度ばかり考えた。

 ケンカではない。これはワザとワザの勝負だと思った。打者に当てるのが投手の技術なら、その逆もまた技術だ、と。

 そして3打席目、ついに太ももに当てた。門田が「これでおあいこや」と言うと、東尾は「そうやね」と答え、以後は危険球まがいの球を一球も投げてこなかったという。

門田博光(かどた・ひろみつ)
1948年2月26日生まれ。奈良県出身。天理高からクラレ岡山を経てドラフト2位で70年南海入団。翌71年に120打点で初の打点王に。79年のキャンプでアキレス腱を断裂も、翌80年には復帰し、81年は44本塁打で初の本塁打王に。40歳の88年には44本塁打、125打点で本塁打王、打点王。89年にオリックス、91年にダイエーと移り、92年限りで現役引退。2006年野球殿堂入り。主なタイトルはMVP1回、本塁打王3回、打点王2回。通算成績2571試合、2566安打、567本塁打、1678打点、51盗塁、打率.289。

写真=BBM
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