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背番号物語

【背番号物語】「#47」右腕が本家の左腕ナンバー

 

背番号は選手たちの「もうひとつの顔」だ。ある選手が引退しても、またある選手がその「顔」を受け継ぐ。その歴史を週刊ベースボールONLINEで紐解いていこう。

工藤をルーツとする左腕の系譜



 現役でも左腕が多数派の「47」。系譜を振り返っても、右腕は広島金石昭人ら少数派だ。「47」を左腕のナンバーとして定着させたのが、現在はソフトバンクの監督を務める工藤公康。西武1年目に「47」を与えられ、ダイエー、巨人、横浜、そして西武と、29年をかけて渡り歩く。

 そのうちダイエー移籍2年目までと西武での現役最晩年を除く26年を「47」で過ごした。西武では帆足和幸が継承。ダイエーからソフトバンクにかけては杉内俊哉を経て移籍してきた帆足がリレーした。

 1年目の堀内庄が着け、のちに木田優夫らが継承して右腕のイメージがあった巨人でも、左腕の山口鉄也が育成出身のセットアッパーとして新たな輝きを加え、DeNAではメジャー1年目のメッツでも着けていた(高橋)尚成を経て砂田毅樹が後継者に。山口と同様、育成から這い上がった左のセットアッパーだ。

 工藤がプロ野球を代表する左腕に成長した1990年代、山本昌ら左腕の多かった中日にいたのが野口茂樹。99年に19勝を挙げてリーグ優勝に貢献、MVPに輝いて、日本シリーズで工藤のいたダイエーと激突している。

【12球団主な歴代背番号「47」】
巨人 堀内庄、木田優夫、西山一宇、工藤公康、山口鉄也☆

阪神 小山正明藤原仁嶋尾康史(慶一)、伊藤敦規山本翔也

中日 前田益穂関東孝雄(孝夫)、野口茂樹、松井雅人笠原祥太郎

オリックス 今西錬太郎岡田幸喜村上信一日高剛海田智行

ソフトバンク 広永益隆、工藤公康、杉内俊哉、帆足和幸、高橋純平

日本ハム 田中調坂巻明島田直也関根裕之田中豊樹

ロッテ 小山正明、欠端光則右田一彦礒恒之田中靖洋

DeNA 小山正明、三浦道男竹下浩二、工藤公康、砂田毅樹☆

西武 和田博実、工藤公康、寺本比呂文細川亨、帆足和幸

広島 久保俊巳、金石昭人、秋村謙宏青木高広山口翔☆(2018〜)

ヤクルト 大橋一郎度会博文前田浩継赤川克紀高橋奎二

楽天 ラス、松崎伸吾上園啓史大塚尚仁渡邊佑樹☆(2018〜)
(☆は現役)

総本山の“投げる精密機械”


阪神・小山正明


 居並ぶ左の好投手を圧倒する結果を残した「47」は、右腕の小山正明だ。テスト生として53年に阪神へ入団、「49」から「6」、「14」と背番号を変えてきたが、故障もあって伸び悩み(それでも2ケタ勝利は挙げているのだが)、初心に戻る意味で58年に40番台の「47」を着けると、初の大台を超える24勝をマークした。

 卓越した制球力で「針の穴を通す」と言われ、リーグ優勝に貢献した62年には27勝で沢村賞、山内一弘との“世紀のトレード”で64年に移籍した東京(のちロッテ)でも「47」を着けて、1年目から30勝で最多勝に。大洋で引退するまでの16年間、「47」を背負い続けた。同時代のエースたちのように派手ではないが、積み上げた勝ち星は320勝。左右を問わず、「47」の好投手たちにとっての“総本山”というべきレジェンドだ。

 小山が長くプレーした阪神とロッテは右腕が多い。阪神にはリリーバーの伊藤敦規がいて、ロッテもほぼ右腕の系譜だ。ただ、阪神では工藤よりも前に「47」を着けた藤原仁が左のワンポイントとして印象を残したこともあり、現役は左腕の山本翔也。工藤が率いるソフトバンクではドラフト1位で2016年に入団した右腕の高橋純平が着けている。

写真=BBM
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