週刊ベースボールONLINE

MLB最新戦略事情

【MLB】ジョー・トーリ氏が語る 松井秀喜がメジャーで残した功績とは? 

 

09年にはワールド・シリーズMVPにも輝いた松井秀喜。日本で野球殿堂入りしたが、その人間性と功績はアメリカでも評価を受けている


 松井秀喜が日本の野球殿堂に入った(アメリカの野球殿堂入りは逃したが)。それに関連してハワイでバケーション中のジョー・トーリ元ヤンキース監督と電話で話すことができたのだが、あらためて松井の野球人としての大きな功績について考えさせられた。

 2003年春のキャンプ、トーリは「ゴジラ」のニックネームで前年に50本塁打をマークした日本のスーパースターが、ヤンキースのチームカラーに溶け込めるか心配していた。常勝球団で、選手にはチーム第一の姿勢を優先してもらいたいからだ。

「初日、打撃ケージを出てきたヒデキに『今までヒットエンドランをやったことがあるか?』と訊いたら、「ANYTIME YOU WANT(お望みならいつでも)」と返事してくれた。私たちが作りあげようとしていたチームのキャラクターと一致していた」

 選手生活を振り返るとき、私たちはどうしてもヒット何本、打率何割と数字に頼ってしまう。野球はまず第一にチームスポーツでありながら、その面は数字に表れにくい。現場にいた人だけが、チーム内での選手の価値を知っている。

「シーズンは長く、毎日試合があって野球は簡単なゲームではない。ヒデキは毎試合変わらぬ姿勢でフィールドに出て100パーセントの力を発揮した。その日の気分とか、身体の調子に左右されない。痛いところはあっただろうけど、強い意志の力で周囲に感じさせない。みんなが敬意を払っていた。あのデレク・ジーターと同じで、生まれついてのリーダー。言葉の壁はあったが、リーダーシップは言葉よりも行いに表れるものだ」

 アメリカで生活する日本人にとって言葉のカベや文化の違いは大きい。それでも渡米15年、松井は多くの関係者に信頼され、敬意を払われるに到った。10年、エンゼルス時代を担当した地元紙の記者はシーズン終了翌日、記者や球団関係者が興じたソフトボール試合に、松井が参加したと懐かしがる。「長い記者生活を通じてたくさんの選手と仲良くなったが、こんなことは松井だけ。われわれのことも大切にしてくれた」。

 その上で、もちろん実力も一流。両軍が徹底した準備の末に臨むポストシーズン、56試合で通算打率・312、10本塁打、39打点。09年にはワールド・シリーズMVPを獲得した。

「プレッシャーがかかり、力が入る場面で、大きな仕事をした。私が印象に残っているのは03年のワールド・シリーズ第2戦。初回二死で2人の走者を置き、3ボールのカウントで左投手のマーク・レッドマンから中越えに3点本塁打を放った。3ボールは打者にとって有利なカウントのはずだが、実際には力が入ってなかなかうまく打てない。ヒデキはそういうシチュエーションでもボールを確実にとらえ得点を入れてくれた」とトーリ。

 老将はメジャーで18シーズンプレーし、29シーズン監督を務め、過去7年間はコミッショナーオフィスで働いた。77歳は43歳の松井を応援し続ける。

「私は常に野球に関わってこられて幸運だった。ヒデキはまだ若い。彼がこの先、どういった選択をしようとも、新しい役割は野球界にとって価値あるものになる。選手として殿堂に入ったが、もっと野球界に貢献できるものを持っている」

 アメリカでも、能力プラス高い人間性を認められた松井。それこそが大きな功績だと思う。

文=奥田秀樹 写真=Getty Images
週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部が今注目の選手、出来事をお届け

関連情報

みんなのコメント

  • 新着順
  • いいね順

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング