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プロ野球仰天伝説

【プロ野球仰天伝説46】バースを3球三振に仕留めた津田恒実のクレージーな快速球

 

長いプロ野球の歴史の中で、数えきれない伝説が紡がれた。その一つひとつが、野球という国民的スポーツの面白さを倍増させたのは間違いない。野球ファンを“仰天”させた伝説。その数々を紹介していこう。

全身全霊を込めた剛速球


常に真っ向勝負で打者に挑んだ津田


 炎のストッパー、広島津田恒実。その全身全霊を込めた剛速球は、いまも多くの人々の記憶に色鮮やかに残っている。

 先発時代も球は速かったが、その速球にさらなる熱が入ったのは、1986年に抑えになってからだ。本来は気弱なところもあったが、マウンドでは“弱気は最大の敵”の座右の銘どおり、ひたすら攻めまくった。

 捕手・達川光男からの“全力返球”を二、三歩前に出てグラブを振りながらキャッチ。相手の打者をにらみつける姿に広島ファンは沸いた。グラブが空振りし、顔面にボールが当たったことがあるが、津田は鼻血を出しながら投げ続けたという。

 86年は名勝負も多い。5月8日の阪神戦では、9回裏二死満塁から、この年の三冠王バースと対戦。すべてインハイの速球で3球三振に仕留め、バースをして「津田のストレートはクレージーだ」と言わしめた。巨人原辰徳がファウルし、左手を負傷したのも、この年だった。

 同年、胴上げ投手にもなったが、最後の打者を前に「俺、(阪急の)アニマルと同じことをしたいです」と言った。相撲取りが懸賞をもらうときのような仕草だ。マジメなようで、ひょうきん。津田らしい逸話だ。

津田恒美(つだ・つねみ)
1960年8月1日生まれ。山口県出身。南陽工高から協和発酵を経てドラフト1位で82年に広島へ入団、84年までの登録名は「津田恒美」。1年目から先発に定着し新人王に輝く。その後は故障に苦しむが、86年に抑えで復活、優勝に貢献した。91年4月14日巨人戦(広島)で降板後に入院、同年限りで引退。脳腫瘍のため、93年7月20日死去。2012年野球殿堂入り。主なタイトルは新人王、最優秀救援投手1回。通算成績286試合登板、49勝41敗90セーブ、防御率3.31。

写真=BBM

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