背番号は選手たちの「もうひとつの顔」だ。ある選手が引退しても、またある選手がその「顔」を受け継ぐ。その歴史を週刊ベースボールONLINEで紐解いていこう。 オリックスでは欠番
1994年、
仰木彬監督が就任したオリックスで、前人未到のシーズン200安打を達成して旋風を巻き起こしたイチロー。その背中に輝いていたのが「51」だ。イチローは登録名が「鈴木一朗」だった若手時代から2017年まで、ヤンキース時代を除いてメジャーでも「51」を背負い続けて、世界に通用する“もうひとつの顔”へと昇華させた。
その前任者はイチローも先輩として慕った
福良淳一で、愛称の“デコ”からSLのD51(通称デコイチ)にちなんだものだという。
イチローが海を渡ってからオリックスでは欠番が続くが、唯一の“危機”が2005年、近鉄との合併で、両チームで監督の経験があった仰木が新監督になったときだ。イチローが仰木に「51」を着けることを提案したが、仰木が「そんな恐ろしいことできるか」と断ったという。もし実現したら、世界に羽ばたいた弟子の背番号を師匠が継承する、まったく新しい系譜の誕生となったのだが……。
【12球団主な歴代背番号「51」】
巨人 武宮敏明、
福嶋知春、
石井雅博、
古城茂幸、
堂上剛裕 阪神 石川良照、
久保征弘、
古沢憲司、
桜井広大、
伊藤隼太☆
中日 井上登、
小川敏明、井上登、村上(正岡)真二、
京田陽太☆
オリックス 平田守、
真田重蔵(コーチ)、
山下浩二、福良淳一、鈴木一朗(イチロー)
ソフトバンク 中谷信夫(コーチ)、
柳田利夫、
山本雅夫、
荒金久雄、
上林誠知☆
日本ハム 土橋正幸、
大杉勝男、
小田智之、
村田和哉、
石川直也☆
ロッテ 滝良彦、
西本幸雄(コーチ)、
濃人渉(監督ほか)、
仁村徹、
オルモス☆(2018〜)
DeNA 権藤正利、
斉藤巧、
石橋貢、
鈴木尚典(鈴木尚)、
宮崎敏郎☆
西武 ロング、
小関竜也、
大島裕行、
木村文紀、
西川愛也☆(2018〜)
広島 西本明和、
江藤智、
前田智徳、
末永真史、
鈴木誠也☆
ヤクルト 土居章助、
釘谷肇、
松元繁、
米野智人、
藤井亮太☆
楽天 佐藤和宏、
川岸強、
柿澤貴裕、
フェルナンド☆
(☆は現役)
古くからの好打者の系譜
横浜・鈴木尚典
ただ、「51」を背負った好打者の最初はイチローではない。古くは中日に“シュート打ち名人”井上登がいて、南海を経て中日へ復帰して再び「51」を背負って引退した。
長距離砲タイプでは東映に大杉勝男がいる。
飯島滋弥コーチに師事し、「月に向かって打て!」の名言で打撃開眼。飯島コーチが「50」を着けて大杉と並んでいた時期もあった。大杉はチームが日拓となった73年に「3」となるも、わずか1年で「51」に戻している。近鉄では“無冠の帝王”
土井正博の出世番号だ。
イチローと同時期には横浜“マシンガン打線”の中軸を担った鈴木尚典(鈴木尚)がいた。日本一イヤーの98年から「7」となったが、2007年に「51」へ戻して最晩年を過ごした。
その後継者は17年の首位打者に輝いた宮崎敏郎で、イチロー同様、無名の存在から飛躍。江藤智と前田智徳が短期間でリレーした広島では鈴木誠也に継承され、中日では京田陽太が17年の新人王に輝いている。
イチローの後継者というべき好打者が次々と誕生している「51」だが、ほかのナンバーと大きく異なるところは、その印象を完全に定着させたレジェンドが、まだ現役ということだ。迎えた18年、所属するチームは決まっていないが、このまま終わるはずもない。“イチロー=「51」”の伝説は、まだまだ続く。
写真=BBM