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背番号物語

【背番号物語】「#53」21世紀の幕開けに輝いた“レッドスター”

 

背番号は選手たちの「もうひとつの顔」だ。ある選手が引退しても、またある選手がその「顔」を受け継ぐ。その歴史を週刊ベースボールONLINEで紐解いていこう。

2000年代を駆け抜けた韋駄天



 2001年、ドラフト4位での入団ながら即戦力となり、背番号「53」と赤いリストバンドで塁間を駆け巡って盗塁王に。以降、セ・リーグ初となる5年連続で盗塁王に輝いたのが阪神の赤星憲広だ。

 最初は嫌だったという「53」だが、盗塁数の目標に設定すると、03年から3年連続で60盗塁を超える。その03年には優勝を呼び込むサヨナラ打を放って、さらなる印象を残した。故障により、わずか9年で現役引退を余儀なくされたが、すべてのシーズンで2ケタ盗塁を達成。投打ともに多くの選手が出世番号としている「53」を一貫して背負い続けた貴重な名選手だ。

 その阪神は好打者の系譜で、3代目は藤本克巳(のち勝巳)で、「5」となって1959年の天覧試合で本塁打を放ち、翌60年には本塁打王、打点王の打撃2冠に輝いた強打者。西武でも活躍した外野手の吉竹春樹もいる。

【12球団主な歴代背番号「53」】
巨人 関本四十四、コトー、福井敬治實松一成高田萌生

阪神 藤本克巳、谷本稔、吉竹春樹、赤星憲広、島田海吏☆(2018〜)

中日 坂本木雄川畑泰博仲澤忠厚柳田殖生亀澤恭平

オリックス 加奥隆三星野伸之中嶋聡相川良太吉田雄人

ソフトバンク 祓川正敏柏原純一門田博光金子圭輔五十嵐亮太

日本ハム 西田亨岡持和彦小谷野栄一工藤隆人立田将太

ロッテ 呉昌征植村義信(コーチ)、林博康原井和也江村直也

DeNA 島田源太郎古田忠士石井義人野中信吾パットン

西武 竹之下五十三、川村一明青木勇人石川貢愛斗

広島 高橋里志秋村謙宏福地和広林昌樹戸田隆矢

ヤクルト 岩崎哲郎、内藤尚行、五十嵐亮太、ロマン、沼田拓巳☆(2018〜)

楽天 坂克彦石田隆司、ハウザー、相原和友高梨雄平
(☆は現役)

長く活躍する鉄腕も


ヤクルト・五十嵐亮太


 日本球界で一貫して「53」を背負い続けるのがソフトバンクの五十嵐亮太。ヤクルト時代の04年、赤星のいた阪神を相手に当時の最速タイ記録となる158キロの剛速球を投げ込み、メジャーを経て13年にソフトバンクで復帰、セットアッパーとしてフル回転を続ける鉄腕だ。

 ヤクルトでは“ギャオス”内藤尚行の出世番号だが、この傾向はほかのチームも同様で、古くは完全試合を達成した島田源太郎が大洋で1年目だけ着け、高橋里志は広島へ移籍して2年間を「53」で過ごしている。

 広島は投打に好選手が巣立っていて、横山竜士は2番目の背番号として「53」を着けた97年に10勝を挙げて、すぐに「23」へ。西武でも「53」を着けた福地和広(寿樹)はヤクルトへ移籍して08年から2年連続で盗塁王となり、遅咲きの花を咲かせた。阪急では星野伸之から中嶋聡が継承。バッテリーでリレーして出世番号とした珍しいパターンだ。

 日本ハムでも好打者の出世番号で、森本稀哲、小谷野栄一が短期間ながら若手時代に着けている。

 逆に、球史に残る好打者が「53」で現役を終えたケースも。古くは毎日の呉昌征。37年に巨人へ入団、“人間機関車”と呼ばれたアスリートで、3チームで「23」を着け続けていたが、ラストイヤーの57年だけ「53」にして現役引退。門田博光も南海からオリックスを経てダイエーとなった古巣へ復帰して「53」に。背番号にこだわった門田の5番目にして最後のナンバーとなった。

写真=BBM
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