週刊ベースボールONLINE

背番号物語

【背番号物語】「#54」“千葉ロッテ”を定着させた魂のエース

 

背番号は選手たちの「もうひとつの顔」だ。ある選手が引退しても、またある選手がその「顔」を受け継ぐ。その歴史を週刊ベースボールONLINEで紐解いていこう。

背番号とともに継承された魂



「俺が『54』を温めておいたよ。だからジョニーはきっと活躍できる」

 こう言ったのは、ドラフト1位でロッテへ入団しながら一軍では2試合の登板にとどまり、打撃投手に転じた石田雅彦。そんな言葉とともに、「54」を継承したのが“ジョニー”黒木知宏だった。1998年、ロッテは悪夢の18連敗。17敗目を喫した七夕の夜、勝利を目前にした9回裏に同点弾を浴びてマウンドに崩れた黒木の背にも「54」はあった。

 この18連敗を契機に、川崎時代から不人気チームだったロッテに、じわじわと熱狂的なファンが増え始める。千葉へ移転して7年目。“千葉ロッテ”始まりの時だった。

 そして、石田の言葉も現実のものとなる。この年、黒木は13勝を挙げて最多勝。当初は「11」を希望し、「170キロのストレートが目標」と豪語していた黒木だったが、石田の人柄に触れたことで「54」にこだわるようになり、引退まで背負い続けた。多くの名選手が出世番号としている「54」の系譜で、唯一無二の存在だ。

【12球団主な歴代背番号「54」】
巨人 倉田誠槙原寛己藤村大介、ホールトン、高木勇人

阪神 伊藤光四郎山田伝(コーチ)、平塚克洋、J.ウィリアムス、メッセンジャー

中日 一枝修平三好真一小松崎善久松井達徳藤嶋健人

オリックス 切通猛斉藤秀光嶋村一輝(一輝)、伊藤光黒木優太

ソフトバンク 中島博征高木孝治井出竜也、ホールトン、デスパイネ

日本ハム 嶋田信敏城石憲之野口寿浩近藤健介玉井大翔

ロッテ 本堂保弥近藤貞雄(コーチ)、佐藤健一、石田雅彦、黒木知宏

DeNA 山田忠男大門和彦竹下慎太郎小杉陽太寺田光輝☆(2018〜)

西武 玉造陽二清家政和グラマン、R.ウィリアムス、ウルフ☆

広島 藤井弘(コーチ)、中尾明生河野昌人苫米地鉄人船越涼太

ヤクルト 岡嶋博治小倉恒斉藤宜之水田圭介中澤雅人

楽天 ホッジス木谷寿巳加藤大輔横山貴明、ペゲーロ☆
(☆は現役)

速球派のブレークナンバー


巨人・槙原寛己


 もともとロッテの「54」は、戦前から活躍する本堂保弥が現役最晩年に着けて、その後は木塚忠助、近藤貞雄、坪内道則といったレジェンドたちが指導者としてリレー、遊撃手の佐藤健一(のち兼伊知)も巣立ったナンバーだ。

 同様に「54」を出世番号とした好打者は古くからいて、西鉄では初代の滝内弥瑞生に玉造陽二が続く。ともに黄金時代を支えた名バイプレーヤーで、セ・リーグにも阪神に伊藤光四郎、中日には一枝修平がいた。近年では日本ハムの近藤健一が筆頭格だろう。日本ハムではリリーバーの武田久が1年目だけ着けていて、投打ともに出世番号と言える。

 阪神では21世紀に入って助っ人の好投手がリレー。強力リリーフ陣“JFK”の一角を担ったウィリアムスから、先発の柱となっているメッセンジャーが継承している。西武も同様に助っ人投手の系譜だ。近年は外国人選手が増えており、強打者も散見される。

 投手では「54」で新人王に輝いた巨人の槙原寛己が強烈な印象を残す。着けたのは5年だけで、“最後の完全試合”も「17」となってからだが、阪神戦の“バックスクリーン3連発”は「54」時代。のちにスライダーを駆使して息の長い活躍を続けるが、まだ155キロを超える快速球がメーンだったころだ。

写真=BBM
週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部が今注目の選手、出来事をお届け

関連情報

みんなのコメント

  • 新着順
  • いいね順

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング