週刊ベースボールONLINE

背番号物語

【背番号物語】「#62」次の時代へ照準を合わせる昭和の二軍ナンバー

 

背番号は選手たちの「もうひとつの顔」だ。ある選手が引退しても、またある選手がその「顔」を受け継ぐ。その歴史を週刊ベースボールONLINEで紐解いていこう。

二軍でくすぶる系譜から捕手ナンバーとして輝く可能性も



 昭和の昔は一軍の試合で躍動する「62」を見るのは稀有なことだった。二軍でくすぶったまま現役を引退していく選手がほとんど。一軍に出場する、というだけで、「62」の系譜では少数派だったのだ。

 のちに巨人の五番打者として“マムシ”と呼ばれた柳田俊郎も西鉄から移籍してきて2年だけ着けているが、「62」では24試合の出場のみだった。暗闇が長かったのはDeNAの系譜で、チームの「62」として初めて一軍の試合に出場したのが投手の東和政で、2001年のこと。20世紀で唯一、一軍経験があるのが香川正人だが、それも近鉄時代で、初代が1961年に着けた植田健作だから、40年間も二軍でしか「62」を見られなかったことになる。

 時代が平成となったころから少しずつ一軍に出場する選手が増えていき、近年は定着している選手も散見されるようになってきた。

【12球団主な歴代背番号「62」】
巨人 柳田俊郎、原俊介越智大祐江柄子裕樹篠原慎平

阪神 蘭定美男渡真利克則鮎川義文塩谷和彦植田海

中日 本多逸郎(監督代行ほか)、マーシャル、長谷部裕宮越徹工藤隆人

オリックス 伊勢川真澄、矢形勝洋、風岡尚幸玉木朋孝山崎勝己

ソフトバンク 小泉恒美川越透出口雄大、山崎勝己、拓也(甲斐拓也)☆

日本ハム 久保田治浜田義雄(コーチ)、高橋信二今成亮太高濱祐仁

ロッテ 坂本文次郎(コーチ)、伊藤史生信原拓人金澤岳永野将司☆(2018〜)

DeNA 植田健作、香川正人、東和政、高森勇気(勇旗)、エスコバー☆

西武 米田敏美森博幸佐伯秀喜渡辺孝男駒月仁人

広島 野崎泰一(コーチ)、長谷川良平(監督代行ほか)、備前善夫(コーチ)、小林敦司今井啓介

ヤクルト 佐藤孝夫伊林厚志、野林大氣、吉川昌宏徳山武陽

楽天 高波文一福盛和男栂野雅史定岡卓摩西口直人
(☆は現役)

「62」の系譜で貴重な昭和の名選手


国鉄・佐藤孝夫


「62」の系譜で貴重な昭和の名選手が国鉄の“バンビ”佐藤孝夫だ。1年目の1952年から「5」を背負い45盗塁と走りまくって新人王、57年には本塁打王にも輝いた小柄なスラッガーで、低迷期を支えた功労者だが、63年に「引退してコーチになれ」と言われて強制的に「62」へと変更されてしまう。

 左ヒザの故障に苦しみながら必死に抵抗して「62」のまま現役を続行、84試合に出場したが、回復の兆しがなく引退。翌64年からコーチになったが、「62」は着けなかった。ただ、チーム名がヤクルトアトムズとなっていた72年に「62」へ“復帰”。79年には監督代行として指揮も執っている。同様に、戦前から活躍する伊勢川真澄もラストイヤーに着けて、阪急の初代「62」となった。

 2018年、その後継者はオリックスの山崎勝己。ソフトバンクでも「62」を着けていたベテラン捕手だ。ソフトバンクの系譜には一軍出場の多い選手が並んでいる。育成ドラフト6位から這い上がり、その「62」を継承したのが甲斐拓也(拓也)だ。17年は103試合に出場して攻守で王座奪還に貢献したが、不動の司令塔としては、まだまだ道半ば。“平成の捕手ナンバー”と言い切ることは難しいだろう。

 その平成も終焉が近づいている。次の時代に輝く捕手ナンバーとなるかどうかは、迎える18年シーズンの活躍に懸かっている。

写真=BBM
週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部が今注目の選手、出来事をお届け

関連情報

みんなのコメント

  • 新着順
  • いいね順

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング