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背番号物語

【背番号物語】「#64」覇者の司令塔を輩出した捕手の出世番号

 

背番号は選手たちの「もうひとつの顔」だ。ある選手が引退しても、またある選手がその「顔」を受け継ぐ。その歴史を週刊ベースボールONLINEで紐解いていこう。

21世紀にブレークした捕手ナンバー



 古くから捕手も多い「64」の系譜で、初めて正捕手となったのは日本ハム鶴岡慎也だ。強打者のオバンドーが着けていた「64」を2003年に継承、ダルビッシュ有の“専属捕手”として台頭し、09年に121試合でマスクをかぶってリーグ優勝に貢献、ゴールデン・グラブに選ばれた。

 夫人の誕生日と並びが同じ「64」に愛着があった鶴岡だったが、配球の師でもある建山義紀のメジャー移籍で建山の「22」を継承、ソフトバンクを経て18年は古巣へ復帰し、再び「22」を背負う。

 その鶴岡に続く覇者の司令塔が、17年に初めて100試合以上に出場して広島の連覇を支え、ベストナインに輝いた會澤翼だ。15年から捕手ナンバーの「27」を着けているが、入団から8年間は「64」だった。

 ちなみに、二軍監督の水本勝己も現役時代は「64」の捕手。選手としては優勝を経験できなかったが、コーチとして昭和の黄金時代を築いたのが1960年代に正捕手だった田中尊で、下積み時代の南海で着けていたのも「64」だった。

【12球団主な歴代背番号「64」】
巨人 藤本健作藤本健治鴨志田貴司松本哲也大江竜聖

阪神 山脇光治吉田浩関本健太郎庄田隆弘桑原謙太朗

中日 権藤博(コーチ)、北村俊介大塚晶文(晶則)、清水昭信小熊凌祐

オリックス 山下健(コーチ)、中島俊哉西川雅人森本将太廣澤伸哉

ソフトバンク 田中尊、小早川幸二田之上慶三郎西山道隆真砂勇介

日本ハム 高木公男(コーチ)、小島善博、オバンドー、鶴岡慎也、谷口雄也

ロッテ 田中義雄(二軍監督)、阿部憲一山中潔、ホワイトセル、二木康太

DeNA 渡辺不二男マットホワイト南竜介長田秀一郎百瀬大騎

西武 伊藤勝利原口哲也野々垣武志犬伏稔昌中田祥多

広島 金山次郎(コーチ)、ルーツ(コーチ)、井生崇光、會澤翼、中村恭平☆(2018〜)

ヤクルト 田口周(二軍監督)、高木晃次、バーネット、川崎成晃風張蓮☆(2018〜)

楽天 中島俊哉、藪恵壱、スパイアー福山博之
(☆は現役)

遅咲き右腕から中継ぎの鉄腕へ


楽天・福山博之


「64」の好投手が増えてきたのも21世紀に入ってからだ。テスト生としてダイエーへ入団して「94」を着け、支配下選手枠が70人になった92年に田中の後継者となったのが田之上慶三郎で、01年に13勝を挙げてブレーク。07年の引退まで背負い続けた。

 03年に中日で1年だけ「64」を着けて海を渡ったのがリリーバーの大塚晶文(晶則)。逆に、楽天で日本球界へ復帰して1年だけ「64」を着けて引退したのが藪恵市だ。

 楽天ではセットアッパーの福山博之が継承、同様に阪神の桑原謙太朗も17年にセットアッパーとして頭角を現し、抜群の安定感を発揮した。阪神の系譜では好打者の関本健太郎が下積み時代を過ごしていて、さらにさかのぼると内野も外野も守った名バイプレーヤーの山脇光治もいる。

 打者で出世番号としたのが巨人の松本哲也で、「105」の育成から「47」の支配下となり、09年に「64」を着けて一軍初出場、翌10年には新人王に輝いた。やや余談めくが、巨人の3代目は左足の複雑骨折で1試合の登板にとどまり、のちに寮長として後進を指導した藤本健作で、85年に後輩となって「64」を継承したのが息子の藤本健治。大きい背番号を親子でリレーした珍しいケースだ。

写真=BBM
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