今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。 『堀本の夏バテと巨人の決戦態勢』
今回は『1960年8月10日号』。定価は30円だ。グラビアは巻頭にリーグ最速で20勝に到達した
巨人・
堀本律雄の勇姿などがあったが、巻末には『50分の大モメ』として球史に残る珍事件が掲載されている(本文では2ページが割かれていた)。
7月19日、駒沢球場の東映─大毎戦。3対1と東映リードで迎えた8回表、大毎の攻撃だった。二死満塁フルカウントから
山内和弘が見逃し三振も、その球を東映・
安藤順三捕手が後逸する。安藤はなぜかボールを追わず、その間、走者が本塁へ向かう。さらにチェンジと思い、ベンチに戻りかけた山内もほかの選手にうながされ、一塁へ向かった。二走者が生還した後、安藤はボールをつかんだが、今度はなぜか通常のチェンジのときと同じように、マウンドに向かってボールを転がし、それを見て最後の走者もホームへ。一塁にいた山内も
西本幸雄監督の指示で無人のグラウンドを1周し、ホームを踏んだ。
東映の
保井浩一代理監督はここから53分の抗議をしたが判定は覆らず、振り逃げ満塁ホームランになったというものだった。
本文巻頭記事は、前述のように20勝に到達した堀本についてで『堀本の夏バテと巨人の決戦態勢』。投手陣崩壊となっていた巨人の中で、堀本は孤軍奮闘。ただ、さすがに疲労が見えてきた。記事中、堀本はこんなことを言っている。
「俺はね、どうせ巨人じゃ外様だよ。長くいたって、チーム内で格別の政治的地位は築けないよ。だから選手生命を長く持たせようなんか考えちゃいないんだ。まあ3年持てば満足なんだ。その代わり3年間は思う存分暴れさせてもらいますぜ」
10年選手ではない。ルーキーの言葉だ。「いったい何があったの、堀本さん?」と聞きたくなる。
3回目となる『
佐々木信也連載対談』では、台風の目となっている大洋のエース、
秋山登が登場。最後のやり取りを抜粋する。
佐々木 いま何勝?
秋山 13勝、負けが少ないのが助かる。
佐々木 20勝軽くいけるだろう。
秋山 このままの調子が……。
佐々木 続けばね。大洋優勝で最高殊勲選手なんてのはどう。
秋山 夢ですな。
佐々木 そういう欲を持たなければ。
秋山 欲はあるよ。プロ野球に入ったんだから1回ぐらいそういうのになってみたいと思うけれど。
佐々木 弱気だね(笑)。強気でなければ。最高殊勲選手くらいとるという放言をしてみたらどうだ。貧乏人は麦を食えというのが総理大臣になる世の中なんだから(笑)。
最後は滑っているようにも思うが、秋山は同年21勝を挙げ、MVPとなった。
なお、いよいよオールスターが近づき、展望記事が多い号だった。
以下は宣伝です。しばらく、まったく同じ文を掲載します。
現在、週刊ベースボール60周年企画として「週べでつづる12球団史」を制作中。第1弾は3月14日発売予定の巨人編です。
長嶋茂雄氏、
原辰徳氏らのインタビューが掲載予定です。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM