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背番号物語

【背番号物語】「#65」右腕の背中によみがえる勇者と猛牛の記憶

 

背番号は選手たちの「もうひとつの顔」だ。ある選手が引退しても、またある選手がその「顔」を受け継ぐ。その歴史を週刊ベースボールONLINEで紐解いていこう。

“降格”でタイトルホルダーに



 2000年、プロ10年目の初勝利を挙げると、そのまま規定投球回に到達、最優秀防御率に輝いたオリックスの戎信行。「30」で伸び悩み、「65」へと“降格”になって2年目の大ブレークだった。ネガティブな印象も強い大きな背番号で、戎が「65」唯一のタイトルホルダーだ。ただ、戎にとってはラッキーナンバーでもあり、02年に「1」となった戎だったが、シーズン途中にヤクルトへ移籍。通算15勝で、04年に近鉄で現役を終えた。

 オリックスで「65」を継承したのが同じ右腕の近藤一樹。08年に初の2ケタ10勝を挙げたが、徐々に勝ち星を減らし、16年シーズン途中にヤクルトへ。18年にセットアッパーとして復活した。オリックスでは18年にも、伸び悩んでいる青山大紀が「65」となって、右腕の出世番号で覚醒を待つ。

【12球団主な歴代背番号「65」】
巨人 菅原勝矢渡辺政仁橋本到今村信貴辻東倫

阪神 櫟信平(コーチ)、山崎一玄高波文一、リガン、緒方凌介

中日 山内一弘(監督)、小山桂司、ソーサ、マドリガル、伊藤準規

オリックス 梁川在雄西本幸雄(監督)、戎信行、近藤一樹、青山大紀☆(2018〜)

ソフトバンク 柴田猛藤田訓弘山崎勝己白根尚貴九鬼隆平

日本ハム 石原碩夫金山勝巳(コーチ)、鵜久森淳志多田野数人太田賢吾

ロッテ 千田啓介(コーチ)、大塚明南竜介加藤翔平、ペゲーロ☆(2018〜)

DeNA 重松省三渡辺伸彦西崎伸洋関口雄大国吉佑樹

西武 今久留主淳(コーチ)、柳田豊岡田展和上中吉成斉藤彰吾

広島 佐藤玖光(打撃投手)、若林隆信相澤寿聡久本祐一長井良太

ヤクルト 阿井利治松岡大吾、ユウイチ松元(ユウイチ、松元ユウイチ)、押本健彦田代将太郎☆(2018〜)

楽天 トレーシー、松本輝、小山桂司、堀内謙伍
(☆は現役)

名将のナンバーにも


阪急・西本幸雄


 近藤は近鉄時代の「65」を合併後も引き続き着けた形。ちなみに、続く「66」が最晩年の戎だった。

 オリックスの系譜をさかのぼると西本幸雄監督がいて、阪急V2の1972年から退任するまでの2年間を過ごした偉大なるナンバーだ。74年から近鉄を率いた西本監督の下、初優勝に貢献した右腕の柳田豊が西鉄時代に着けていたのも「65」だった。

 右腕で「65」のセットアッパーとして活躍したのがヤクルトの押本健彦。左のセットアッパーでは広島に久本祐一もいる。18年は押本が日本ハムで、久本は中日で、ともに古巣を打撃投手として支えるが、17年まで阪神の打撃投手だった山崎一玄がプロ初勝利を挙げたのも「65」時代。広島には打撃投手として昭和の黄金時代を支えた佐藤玖光もいる。

 巨人V9の幕が開けた65年から「65」を着けたのが右腕の菅原勝矢。66年の11勝は「65」の投手としてはシーズン最多勝だ。

 打者では大洋で1年目の62年だけ着けたリードオフマンの重松省三もいるが、押本の前任者として8年を過ごした松元ユウイチが代表格だろう。そのヤクルトで17年の開幕早々に代打サヨナラ満塁本塁打を放った「91」の鵜久森淳志は日本ハム時代に、オリックスの山崎勝己はダイエー時代に着けていた。捕手では中日と楽天の2チームで背負い続けた小山桂司もいる。

 18年に「10」へと“昇格”したのが、「65」で初打席初球本塁打を放ってデビューしたロッテの加藤翔平だ。

写真=BBM
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