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背番号物語

【背番号物語】「#67」大きな背番号に秘められた職人の矜持

 

背番号は選手たちの「もうひとつの顔」だ。ある選手が引退しても、またある選手がその「顔」を受け継ぐ。その歴史を週刊ベースボールONLINEで紐解いていこう。

職人ナンバーの後継者



 12年間ヤクルトでプレーし、2017年からDeNAの一員となった田中浩康。リーグ最多犠打4度、二塁守備も巧み。そんなベテランが、新天地で空き番号から選んだのが「67」だった。

 実績のあるベテラン選手にしては大きな背番号だが、ヤクルトで二遊間を組み、尊敬する先輩の宮本慎也が着けていた「6」と、自身が一貫して背負っていた「7」を合わせたものだという。

 ただ、この「67」、田中のようなタイプの名選手たちが並ぶ“職人ナンバー”でもある。決して主役ではなく、スターでもない。バントで確実に走者を送り、守備でも華麗さよりも堅実さを重視する……。そんな職人たちの系譜において、まさに田中こそ、その正統な後継者と言えるだろう。

【12球団主な歴代背番号「67」】
巨人 黒江透修峰国安柏田貴史越智大祐和田恋

阪神 辻恭彦亀山努松田匡司、ブラゼル、岩崎優

中日 井上登(コーチ)、高木守道(コーチ)、中山裕章高橋聡文近藤弘基

オリックス 吉本安徳山田久志(コーチ)、横山徹也古川秀一佐藤世那

ソフトバンク 和中史郎、吉武真太郎松本輝(アキラ)、斉藤秀光笠谷俊介

日本ハム 種茂雅之作道烝、長田博幸、田吹昭博岸里亮佑

ロッテ 藤井秀通、戸部浩的場直樹西野勇士李杜軒☆(2018〜)

DeNA グルン、クレス、池之上格西清孝、田中浩康☆

西武 加藤博一広瀬宰(兼任コーチ)、浜本龍治梅田尚通藤田航生

広島 野崎泰一(コーチ)、小早川幸二酒井大輔コズロースキー中村祐太

ヤクルト 巽一(コーチ)、乱橋幸仁野口寿浩阿部茂樹平井諒

楽天 銀次岩崎達郎、クルーズ、西巻賢二☆(2018〜)
(☆は現役)

中日黄金時代の左腕も


中日・高橋聡文


 阪神の初代は“ダンプ”辻恭彦。控えが多かったが、1971年には離脱した田淵幸一の穴を埋めて全試合でマスクをかぶり、のちに大洋へ移籍して23年の選手生活をまっとうした。

 その後継者となったのが「00」の印象が強い亀山努。ウエスタンで2年連続の首位打者になるなど、まだ二軍の主力だったころだ。21世紀に入ると、西武を戦力外になったブラゼルが2009年の開幕後に入団して継承。「67」で活躍した少数派の長距離砲だ。

 ライバルの巨人では2代目が黒江透修。遊撃の定位置をつかんだ67年が「67」ラストイヤーで、「5」の名バイプレーヤーとしてV9に貢献した。その後継者には野球留学を経てメジャー登板を果たす前の柏田貴史もいる。

 パ・リーグでは、7つの背番号を渡り歩いた加藤博一が太平洋で1年だけ着けた2番目の背番号。日本ハムの系譜では、初代が長く東映の司令塔を担った種茂雅之で、2代目がメジャーにもない史上唯一の“5者連続本塁打”の口火を切る代打満塁弾を放った作道烝。98年に移籍してきて正捕手となった野口寿浩もヤクルトでの若手時代に着けていた。楽天の初代は銀次。「33」でブレークする前の6年間を過ごした下積み時代のナンバーだ。

 投手では、ロッテで育成から這い上がった西野勇士が支配下1年目に「67」で9勝を挙げて出世番号に。長く着けていたのが中日時代の高橋聡文で、入団から14年間、一貫して「67」を背負い続けた。阪神へ移籍して「41」で活躍を続けているが、中日の黄金時代を支えた貴重な左のセットアッパー、というインパクトは「67」の系譜では圧倒的だ。

写真=BBM
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