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背番号物語

【背番号物語】「#68」“悲運の名将”が背負った猛牛の苦節と栄光

 

背番号は選手たちの「もうひとつの顔」だ。ある選手が引退しても、またある選手がその「顔」を受け継ぐ。その歴史を週刊ベースボールONLINEで紐解いていこう。

追憶の近鉄バファローズ


近鉄・西本幸雄


 低迷する阪急を黄金時代に導き、辞任して間を置かずに近鉄の監督に就任。2年目の1975年に後期優勝、近鉄にとって初の美酒となる。

 79年に前期優勝、そのままプレーオフを制して初のパ・リーグ制覇も、広島との日本シリーズでは“江夏(豊)の21球”で惜敗、初のリーグ連覇を果たした80年も日本シリーズで広島に苦杯。大毎、阪急と合わせて8度のパ・リーグ制覇も日本一はならず、“悲運の名将”と呼ばれた西本幸雄監督が、近鉄で一貫して背負っていたのが「68」だ。

「ひとつも悲運やない。こんな幸せな男はおらんよ」と語ったのが79年だ。近鉄と阪急、両チームのナインに胴上げされ、81年に勇退。その後継者となったのが“西本道場”で鍛えられた佐々木恭介監督だ。

 2004年限りで近鉄というチームは“消滅”したが、今も近鉄を愛してやまないファンも少なくないだろう。そんな近鉄ファンにとって、「68」は忘れ得ぬ栄光のナンバーだ。

【12球団主な歴代背番号「68」】
巨人 菅原勝矢鈴木尚広栂野雅史朝井秀樹吉川大幾

阪神 梅本正之(コーチ)、星野修面出哲志横山龍之介俊介

中日 水原茂(監督)、島野育夫(コーチ)、長峰昌司赤田龍一郎桂依央利☆(2018〜)

オリックス 浜崎正人牧憲二郎佐野慈紀深江真登鈴木優

ソフトバンク 東条文博広橋公寿高橋和幸竹岡和宏三森大貴

日本ハム 白仁天高島昭夫杉山悟(二軍監督ほか)、浅沼寿紀石川亮

ロッテ 新井彰山内一弘(監督)、猪久保吾一早坂圭介大木貴将

DeNA 在原兵次新井克太郎ランドルフ冨田康祐藤岡好明

西武 根本陸夫(監督)、藤井栄治(コーチ)、後藤明美、田原晃司宮田和希

広島 根本陸夫(監督)、備前喜夫(二軍監督)、山崎健広池浩司平岡敬人☆(2018〜)

ヤクルト 赤坂宏三(コーチ)、宇佐美康広上原厚治郎森岡良介山中浩史

楽天 枡田慎太郎仲澤広基山崎浩司川本良平細川亨
(☆は現役)

もう1人の“名将”


クラウン・根本陸夫


 ほぼ同時期には「68」の監督が少なくなかったが、特筆すべきは広島、クラウンの2チームで「68」を着けた根本陸夫監督だろう。優勝経験はないが、その手腕が他を圧倒していたのはチームの土台作りだ。広島は根本監督の退任から3年後に初優勝、クラウンも西武となって退任の翌年に優勝。両チームとも、80年代に黄金期を迎えることになった。

 選手の「68」にはバイプレーヤーが並ぶ。阪急で最後のVイヤーとなった84年に新人王となり、巨人へ移籍した藤田浩雅から「68」を継承したのが“代走のスペシャリスト”鈴木尚広だ。

 広島で根本監督の後継者となったのが低迷期に先発の一角を担った鈴木健、セットアッパーの広池浩司ら。ヤクルトではユーティリティーの森岡良介からサブマリンの山中浩史が継承した。阪神では外野手の俊介が「68」を背負って6年目を迎える。

 パ・リーグでは、日本ハムの初代にいるのが捕手時代の白仁天。ただ、「68」での一軍出場はない。ヤクルト移籍でブレークした俊足の東条文博も南海での若手時代に着けていた。

 近鉄と入れ替わるように誕生した楽天には初代の枡田慎太郎を皮切りに好選手が並び、17年からは捕手の細川亨の背に。プロ17年目を迎える大ベテランだ。

写真=BBM
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