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追悼・星野仙一

追悼企画33/星野仙一、野球に恋した男「決勝トーナメント進出も……」

 

 星野仙一さんは、いつも言っていた。「俺はベースボールの取材は断らん」。実際、ほとんど断られたことはない。恥ずかしい話だが、テレビ局などに比べれば、ウチのギャラなど雀の涙……。おそらく、球界にとっての専門誌の重要さを評価してくれていたのだと思う。そういった俯瞰(ふかん)した見方ができる方だった。
 星野さんの追悼号制作の中で、たくさんの資料を見て、たくさんの方から話を聞いた。それがあまりに膨大なので、これから毎日になるか、数日に1回になるか分からないが、追悼号には入りきらなかった話を当時の『週べ』の記事の再録も交えながら紹介していきたい。(以下は敬称略)

WBC日本代表監督も辞退


準決勝の韓国戦に敗れ、呆然とする日本ベンチ


 激闘の最終予選を勝ち上がり、「金メダルしかいらない」と挑んだ北京五輪で星野監督はまさに“地獄を見る”。

 予選リーグではキューバ、韓国に敗れながらも、4勝3敗で、なんとか決勝トーナメントには進んだ。
 しかし、8月22日の韓国戦で、一時は2対0とリードしながら左翼のG.G.佐藤の失策から流れが変わり、藤川球児岩瀬仁紀の勝利の方程式が崩れ、8回裏に逆転を許す。さらに、最後はまたもG.G.佐藤の失策で追加点を奪われ、後味の悪い黒星で金、銀のメダルがなくなった。

 さらに続く23日の3位決定戦ではアメリカに敗れ、銅メダルも持って帰れなかった。

「日本の野球ファンには申し訳ない気持ちでいっぱいです。結果は受け止めるしかない。負けたのだからどこかに敗因はあるし、何かが足りないんだろうけど、選手たちは本当によく頑張った。責められない。すべては監督である私の責任です」

 と星野監督は肩を落とした。確かに敗因はたくさんある。ただ、それを洗い出すのが、この連載のテーマではない。

 大会後は「監督を引き受けてよかった」とも語り、「こういう野球がある、こういう世界があるというのを知ることができた。だれもができる経験じゃない。60歳を過ぎて、こんなふうに喜んだり、悔しがったり幸せなことだよ」と笑顔で言っていた星野監督だが、帰国後、自らの強気の言葉への反動もあって、おそらくは人生で経験がないほどのすさまじいバッシングを受けた。

 さらに自身がそのリベンジとして意欲を燃やした09年のWBC日本代表監督就任も、その08年秋、ほぼ決まりながら再び燃え上がった世間の反対ムードもあり、自ら辞退する。

 もう、星野仙一が再びユニフォームを着ることはないだろう、多くの人がそう思った。

<次回へ続く>

写真=BBM
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