週刊ベースボールONLINE

背番号物語

【背番号物語】「#80〜89」(前編)西武黄金時代に始まる80番台の栄光

 

背番号は選手たちの「もうひとつの顔」だ。ある選手が引退しても、またある選手がその「顔」を受け継ぐ。その歴史を週刊ベースボールONLINEで紐解いていこう。

定着したのは80年代



 80番台の背番号が登場したのは1967年。東映で水原茂監督が「30」から「81」へと変更したのを筆頭に、巨人で2コーチ、西鉄で4選手が着けた。翌68年にはサンケイで5選手が着けるなど、全体にも普及していくかに思われたが、定着していったのは巨人だけだった。

 70年代後半に再び流行の兆しを見せたが、完全に普及したと言えるのは80年代になってから。ただ、阪急だけは頑固で、その歴史が幕を閉じるまで80番台の背番号をメンバー表に見ることは少ない。

 増え始めたのはチームがオリックスとなり、愛称もブレーブスからブルーウェーブへと変わろうとしているころ。いたずらに背番号の数が大きくなるのを避けるのは、現在のオリックス・バファローズにも受け継がれている傾向だ。

【主な背番号80番台】
「#80」広岡達朗(西武監督)、小川淳司ヤクルト監督)☆、岡田彰布阪神監督)、栗山英樹日本ハム監督)☆、ラミレスDeNA監督)☆

「#81」高木好一(大洋)、森祗晶(西武監督、横浜監督)、吉田義男(阪神監督)、秋山幸二ソフトバンク監督)、工藤公康(ソフトバンク監督)☆

「#82」野村克也(阪神監督)、浅井樹広島コーチ)☆、田辺徳雄(西武監督代行)、万永貴司(DeNA二軍監督)☆、小笠原道大中日二軍監督)☆

「#83」関根潤三(ヤクルト監督)、吉田義男(阪神監督)、原辰徳(巨人監督)、伊東勤(西武監督、ロッテ監督)、青山道雄(DeNAコーチ)☆

「#84」若菜嘉晴(ダイエーコーチ)、伊藤智仁(ヤクルトコーチ)、早川和夫(中日コーチ)☆、植田幸弘(広島コーチ)☆、木村拓也(巨人コーチ)

「#85」野村克晃(ヤクルト)、斎藤雅樹(巨人コーチ)☆、大矢明彦(横浜監督)、ミレッジ(ヤクルト)、辻発彦(西武監督)☆

「#86」大沢啓二(日本ハム監督)、山本功児(ロッテ監督)、山下大輔(横浜監督)、和田豊(阪神監督)、ボルシンガー(ロッテ)☆

「#87」道原博幸(広島コーチ)、尾花高夫(ダイエーほかコーチ、横浜監督)、石毛宏典(オリックス監督)、澤崎俊和(広島コーチ)☆、シェッパーズ(ロッテ)☆

「#88」山本浩二(広島監督)、ヒルマン(日本ハム監督)、田尾安志楽天監督)、原辰徳(巨人監督)、梨田昌孝(日本ハム監督)

「#89」王貞治(ダイエー・ソフトバンク監督)、村田真一(巨人コーチ)☆、水本勝己(広島二軍監督)☆、稲葉光雄(中日コーチ)、平石洋介(楽天コーチ)☆
(☆は2018年)

現在も智将の背に「80」


日本ハム・栗山英樹


 82年、西武で広岡達朗監督が「80」の監督となると、いきなりリーグ優勝、日本一に。81年まで西武の指揮を執っていた根本陸夫監督の「81」を引き継いだのが参謀の森昌彦コーチで、同様に連番で初の日本一に導いたヤクルトの再現となった。同時に、西武となって初の優勝、日本一は、80番台の指導者たちの栄光の歴史が始まった瞬間とも言える。

 2012年に同じく「80」で就任1年目の優勝監督となったのが日本ハムの栗山英樹監督。同様に監督経験がなく下馬評が低かったDeNAのラミレス監督は低迷するチームを2年連続でクライマックスシリーズ進出に導き、今や智将と評価する声も多い。

 迎えた18年に復帰したヤクルトの小川淳司監督はコーチ時代から前回の監督まで一貫して着けていたトレードマークで、前年の最下位から自身初の優勝を狙う。さかのぼると、阪神の岡田彰布監督も05年の優勝監督だ。

写真=BBM
週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部が今注目の選手、出来事をお届け

関連情報

みんなのコメント

  • 新着順
  • いいね順

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング