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追悼・星野仙一

追悼企画37/星野仙一、野球に恋した男「楽天監督3年目、ついに訪れた歓喜の瞬間」

 

 星野仙一さんは、いつも言っていた。「俺はベースボールの取材は断らん」。実際、ほとんど断られたことはない。恥ずかしい話だが、テレビ局などに比べれば、ウチのギャラなど雀の涙……。おそらく、球界にとっての専門誌の重要さを評価してくれていたのだと思う。そういった俯瞰(ふかん)した見方ができる方だった。
 星野さんの追悼号制作の中で、たくさんの資料を見て、たくさんの方から話を聞いた。それがあまりに膨大なので、これから毎日になるか、数日に1回になるか分からないが、追悼号には入りきらなかった話を当時の『週べ』の記事の再録も交えながら紹介していきたい。(以下は敬称略)

これ以上ない、最高の幕切れ


就任3年目、ついに悲願達成なる!


 メジャー入りした岩隈久志が抜けた2012年だったが、4位ながら若手の活躍もあって67勝67敗で勝率5割。確かな手ごたえをつかむ。

 迎えた2013年3月11日、遠征先で行われた震災復興イベントで星野監督は、当時をこう振り返った。

「選手も家族を思い、友人を思い、葛藤していました。勝負と心の葛藤で、本来のプレーができませんでした。まとめることも、大変難しゅうございました」

 それでも「復興のためにできること、それは勝つことしかない。勝って勝って勝ちまくって、被災された方々にわずかな時間でも」とも。これは3年間、繰り返してきた言葉でもあった。

 選手たちに大きく歩み寄った1年でもある。決起集会では、ふだんは口にしないお酒もあおられて飲み干した。嶋基宏は「去年までならミーティングで怒鳴って終わりということもありました。でも僕らが不安定なときに『またあすからチーム一丸でがんばろう。まだ貯金があるんだから』と言ってくださった。一言、一言で救われることも多かった」とシーズン後に語っていた。

 それだけ、チームへの信頼があったからではないだろうか。絶対エース、田中将大の成長、新外国人ジョーンズマギーの加入。なにより、手塩にかけて育ててきた選手たちのたくましさ。手綱を緩め、ともに前を向くことこそ、勝利への最短距離と感じたのだと思う。

 実際、“勝って勝って勝ちまくった”。7月下旬に首位に立つと、そのまま一度も首位の座を譲らぬ快進撃を続ける。

 運命の日は、9月26日の西武戦(西武ドーム)だった。初回に1点を先制しながら中盤までに3点を失い、リードを許したが、打線が粘りを見せる。2点を追う7回表、九番・聖澤諒の四球から一番・岡島豪郎、三番・銀次が安打でつなぎ、二死満塁。このチャンスにジョーンズが走者一掃の逆転適時二塁打。そして、この年34回目の逆転勝利を締めたのは、無傷の連勝男・田中将大だった(最終的には24勝無敗)。球団創設9年目で決めた初優勝は、これ以上ない、最高の幕切れだった。

 その後、星野監督は7回宙を舞った。優勝会見を再録しよう。

「選手を褒めてやらなければならないでしょうね。投手陣も春先は田中(将大)だけが目立っていましたけど、そのうちそろってきてよく守りました。そして、よく打ってくれました。この優勝は、選手も私も想定していませんでした。ただ、もつれればチャンスはあるな、という感じでスタートしましたね。

 トップに立っても、またひっくり返されるんじゃないかと不安もありましたけど、5連敗の後にロッテに3連勝(8月23日〜25日/Kスタ宮城)して確信を持ちました。コイツら強くなったな、ひと皮向けたなと。

 東日本大震災が起こったときは野球に身が入りませんでしたけれど、でも、われわれには勝って喜ばせることしかできません。お前たちの優しさは伝わっているから、今度は強さを伝えよう、ということを、口を酸っぱくして言ってきました。今回の優勝で東北の子どもたちに夢と感動を与えてくれたなと本当に感謝しています」

<次回へ続く>

写真=BBM
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