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プロ野球仰天伝説

【プロ野球仰天伝説79】敗戦処理で登板したスラッガー【助っ人トンデモ話】

 

長いプロ野球の歴史の中で、数えきれない伝説が紡がれた。その一つひとつが、野球という国民的スポーツの面白さを倍増させたのは間違いない。野球ファンを“仰天”させた伝説。その数々を紹介していこう。

デストラーデ[1989−92、95西武/内野手]



 背番号39が、ブルペンからマウンドに向かった。富山アルペンスタジアムのスタンドは盛り上がったが、守っていた西武ナインは白けた表情を浮かべた。

 1995年5月9日。対オリックス戦の8回裏二死、スコアは0対9。この年就任した東尾修監督は、野手のデストラーデを登板させた。

 点差がついた試合で投手を休ませるために野手がマウンドに上がる――メジャー・リーグでは戦術のひとつとして見られる光景も、日本での反応はさまざまだった。

「ファンサービスのために投げさせた」と東尾監督は言った。帰宅しようとしていた観客は確かに足を止めたが、展開は完全な捨て試合になった。

 デストラーデは先頭の高田誠に三塁打を打たれ、ニール藤井康雄に四球を与え降板。グラウンド内には白けたムードがさらに漂い、試合後のナインの中にはコメントを拒否する選手もいた。

 大敗の中で、ただ一人だけ喜んでいたのがデストラーデ本人だった。この日は誕生日の翌日。

「監督からいいプレゼントをもらったよ。高校では投手だった。抑えることができれば最高だったけどね」

 90年代以降では、99年に広島が外国人枠を最大限に使うため、内野手として入団したペルドモを投手の二刀流で起用した例はあるが、助っ人野手が公式戦でマウンドに上がったことはほかにない。MLB中継も毎日のように見ることができることになった今なら受け入れられたかもしれない。

 秋山幸二清原和博とのクリーンアップで西武の黄金時代を築いた強打のスイッチ打者。このシーズン、3年ぶりに日本球界に復帰したが、往年の豪打は見る影もなし。6月に退団するが、20年早かった「ファンサービス」がハイライトシーンとなったのは残念だった。

写真=BBM
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