井端が姿を現すと球場が一斉に沸いた
プロ野球の歴史の中から、日付にこだわってその日に何があったのか紹介していく。今回は3月22日だ。
平昌オリンピックが終わった。ビッグマッチの際、いつも思うのが、「インパクトが強すぎる」ということである。通常のツアー戦の結果や積み重ねて上げたランキングなどが、オリンピックですべて吹き飛んでしまう。
プロ野球においては、WBCがそれにあたる。世界一連覇を果たした2006、09年の大会は、いまも熱く語られるが、13年、17年は、まるでなかったことかのように記憶の片隅に追いやられている。
ただ、負けた大会でも株を上げる選手はいる。準決勝で敗れた2013年のWBCで言えば、
中日の
井端弘和がそれだった。当初は守備固め的存在と思われたが、攻守走で存在感を示し、3戦目のキューバ戦から準決勝まで、すべて先発。しかも打率.556のハイアベレージでDHのベストナインに選ばれた。
大会後のインタビューから少し抜粋する。
「正直なところ、代表に招集された時点では、打つほうではあまり期待されている選手じゃなかったと思うんです。求められていたのは守備固めとか、バントなどの小技。出場機会をコツコツと積み上げていって、『準決勝、決勝くらいではスタメンで出たいな』とはずっと思っていたんですけど、まさか早々とスタメンで出られるとは思ってなかったです。ましてやDHなんてね。
ドラゴンズもファンの方は多いですが、ここまで日本中の方に注目していただいて、期待されるというのは初めてですから、その感覚を味わって、
巨人の選手とかは常にこんな環境でやっていて、大変だなと思いましたね(笑)。
打つことだけに集中できたのが、逆に良かったのかなと思います。これまでほとんど経験がなかったので、寿命が延びたかなと。ぶっつけ本番でやることになったファーストも含めて、40過ぎても生きる道が多少あるのかなと、視野が広がったというか、選択肢が増えました(笑)」
大会から帰国後、井端がチームに合流し、実戦復帰したのが、2013年3月22日の
ロッテ戦(ナゴヤドーム)だった。スタメンで五番・遊撃。2回の初打席に入るとスタンドから拍手と大歓声がわき起こった。「お帰り
コール」も出た。「拍手はありがたい。本当にやりがいを感じる」と井端は感激の面持ちだった。
帰国後初打席は投ゴロ。4回の2打席目は中飛と出塁はできなかったが「打つのは仕上がっている」と自信は揺るがない。翌23日の同カードでは2回に中前打。「いい状態なのは間違いない」。この試合、中日は4対1で勝利。オープン戦の連敗を8でストップさせた。
当時、この凱旋試合を報じる週べの記事の締めは「やはり井端あってのドラゴンズなのである」とあった。
ただ、寿命が延びたかは微妙だ。井端は同年限りで中日を戦力外となり、「大変だと思った」巨人への移籍が決まった。
写真=BBM