今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。 『川上をめぐる噂の真相』
今回は『1961年3月13日号』。定価は30円だ。センターグラビアはドジャースキャンプに参加するためベロビーチに発つ
巨人ナイン。日航特別ジャンボ機前での集合写真が時代を感じさせる。
本文には『川上をめぐる噂の真相』という記事があった。チーム内がバラバラというウワサについての話だ。その中に、高卒の巨人・
川上哲治監督が標榜した“百姓野球”に大卒選手が反発しているというものもあった。当時、巨人の高卒選手と大卒選手の確執は実際にあったらしい。本当かウソか分からないが、立大出の
堀本律雄が川上に腕を触られた後、「百姓にさわられた」と顔をしかめたことがあったという記事もあった。
終戦後、プロ野球を離れ、農業を本気でやっていた時期がある川上は、実際、「監督百姓論」というものを記者たちに話していた。いわく、
「監督は百姓仕事と同じで、やるべき仕事は山ほどある。しかもそれがその日、その日の適切なタイミングで処理していかないと効果は半減する。種まきでも少し遅かったり、早かったりしたら収穫はそれだけ少なくなる。監督も同じで、選手の気持ちをうまくキャッチして指導していかないと伸びる選手もダメになる」
という説だった。
『12球団週間報告』の近鉄編では、この年、大鉄高から入団した
土井正博が「恐るべき17才」として紹介されている。話は野球ではなく、キャンプで土井が“17杯”と呼ばれるようになったというものだ。由来はキャンプイン早々、練習後の晩メシでおかわりを17杯したからだ。
翌年、
千葉茂監督から代わった
別当薫監督に抜てきされ、「18才の四番打者」として売り出した土井。最初からキャッチフレーズをつけられやすい雰囲気があったということか。
巻頭グラビア、本文巻頭は高松でのオープン戦で対戦した
三原脩監督の大洋、
水原茂監督の東映の話。ともにご当地、さらにリーグが変わったこともあってか、2月28日の前夜祭では笑顔で握手している。翌日の試合は引き分けだった。
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では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM