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プロ野球世代別ベストナイン

【世代別ベストナイン】「1931年」のちの監督がズラリと並ぶ“頭脳派世代”/広岡達朗、藤田元司、ブレイザー

 

プロ野球史を彩ってきた数多くの名選手たち。生まれた世代ごとに週刊ベースボールONLIN編集部がベストナインを選定して、“史上最強世代”を追いかけてみる。

微妙な双曲線を描く藤田と広岡



 選手としての実績もさることながら、のちに監督としてチームを指揮した“頭脳派”が多いのが特徴的な世代だ。その片鱗は選手時代から見せていて、特に守備での頭脳的なプレーは、たびたびチームのピンチを救った。

 選手としても監督としても、群を抜いているのが藤田元司と広岡達朗。ともにV9前夜の巨人を中心選手として引っ張り、のちに監督としても日本一を経験している。

【1931年生まれのベストナイン】(1931年4月2日〜32年4月1日生まれ)
投手 藤田元司(巨人)

捕手 山下健(阪急)

一塁手 本多逸郎中日

二塁手 ブレイザー(南海)

三塁手 箱田淳(国鉄ほか)

遊撃手 広岡達朗(巨人)

外野手 佐藤孝夫(国鉄)
    大沢啓二(南海ほか)
    大津淳阪神

指名打者 鈴木武(近鉄ほか)

 慶大の“悲運のエース”藤田と早大のスター遊撃手だった広岡。ともに1年目から即戦力となって新人王に。藤田は美しいフォームからの真っ向勝負で2年目から2年連続MVP、広岡は堅実かつ華麗な遊撃守備でファンを魅了したが、藤田は故障で、広岡は首脳陣との確執もあり、ともに選手生活は長くない。

 監督となったのは広岡のほうが早く、1978年にヤクルトを初優勝、日本一に導いた。長嶋茂雄という大スターの後を受けて就任1年目の81年に巨人を優勝、日本一に導いたのが藤田だ。やはり就任1年目に広岡が西武を優勝、日本一に導いたのが、その翌82年。日本シリーズで激突した83年は広岡に軍配が上がっている。藤田は89年に再び王貞治という大スターの後に監督となって優勝、日本一に。ともに屈指の名選手であり、名将だ。

 81年に藤田の巨人と日本シリーズで激突したのが、同じ後楽園球場を本拠地とする日本ハムを率いた大沢啓二(昌芳)だ。“親分”のイメージに上書きされているが、選手時代は藤田と広岡のいた巨人と日本シリーズで激突、頭脳的なポジショニングで好守を連発して南海の日本一を呼び込んだ名外野手だった。

日米の“夢の二遊間”


南海・ブレイザー


 広岡が守備を参考にしたメジャー屈指の名二塁手で、のちに南海のコーチ、監督として“シンキング・ベースボール”を提唱したのがブレイザー。プロ野球きっての名遊撃手との夢の二遊間が実現した。

 54年に国鉄で初めてベストナインに選ばれた二塁手の箱田淳(弘志)は内外野に投手もこなした野球巧者でもあり、三塁へ。遊撃手の鈴木武は71盗塁で盗塁王となった54年はリーグ最多の44失策もあり、指名打者が妥当だろう。

 外野は層が厚く、佐藤孝夫は57年の本塁打王、本多逸郎は55年の盗塁王で、ともに監督代行の経験もある。大津淳は新人ながら開幕スタメンに名を連ね、本塁打、三塁打、二塁打を放って二盗、三盗、本盗も決めた“クセ者”。野球に精通し、引退後はフロントとして手腕を発揮した。

 一塁手は不在。ソツなくこなしそうなのは大津だが、経験がなく、最多は本多の通算82試合。守備の名手は多いが、やや不安の残る布陣となった。

 投手は藤田と、外国人で初めて通算100勝に到達したスタンカ(南海ほか)、最少投球数での完全試合で球史に残る宮地惟友(国鉄)で三本柱だ。

 捕手は低迷期の阪急で司令塔を担った山下健。打線は長距離砲の佐藤も通算200盗塁を超えていて、機動力こそ抜群だが、破壊力には欠ける印象。貴重な得点を投手力と守備力で守り勝つ野球となりそうだ。

写真=BBM
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