今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。 『成功か、失敗か巨人ベロビーチ行きの総決算』
今回は『1961年4月10日号』。定価は30円だ。本文巻頭は『四月八日の後楽園〜昼と夜に展開されるドラマ』。この年の開幕戦は、極めて異例ながら後楽園で昼に
巨人─
中日戦、夜に大毎─東映戦が行われるという。当時は4月のナイター自体が異例だったらしい。理由は「寒いから」だ。これに対し、大毎・永田雅一オーナーはこう語る。
「キミ、ナイターが時期尚早なんていうのは古い考え方だよ。アメリカのファンは皆、毛布で足をくるんでナイターを見ているんだ。選手だって、アメリカの選手はどんな寒さにも不平なんか言わん。立派にプレーする」
このとき後楽園は巨人、大毎の本拠地だったが、圧倒的に巨人のほうが立場が強い。それでも前年王者の大毎としては意地でも本拠地開催をしたいとナイター開催が決まった。永田社長はずっと自前の球場建設の夢を語っていたが、少しずつ本業の映画産業が傾き、なかなか本格化しなかった。
『成功か、失敗か巨人ベロビーチ行きの総決算』。全日程が終わった巨人ベロビーチ・キャンプの決算記事。キャンプ終盤、それまで熱心だったカンパニス・コーチがほとんど指導してくれなくなった。
理由は、
別所毅彦コーチとの論争が原因。現地の野球教室で投手はステップの際、つま先からつくと説明したカンパニス・コーチに対し、別所がいやカカトからだ、と主張し、激しい口論になったらしい。別所はのちの自著にも「あれは納得できない」と書いていた。
『
佐々木信也対談連載』は(おそらく)佐々木のベロビーチ取材もあって休載。代わりに
土井垣武(元毎日ほか)の司会で、南海の
杉浦忠、
阪神の
村山実が登場した。
東映監督・
水原茂の連載手記「私の見た裸のジャイアンツ」は望郷のシベリア生活編。シベリア抑留中の強制労働の厳しさ、劣悪な食糧事情、共産党による洗脳教育などが書かれている。ダモイ(帰還)、アクチブ(活動家)、ゲペウ(大粛清)などの用語が特に説明なしに入ってくるのも時代か。終戦は45年8月、水原の帰国は49年夏だった。長い。
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日本ハム編』が好評発売中です。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM