試合後の條辺。新スターが誕生したと思った
プロ野球の歴史の中から、日付にこだわってその日に何があったのか紹介していく。今回は4月3日だ。
今年も開幕から若手ピッチャーの台頭が目立つ。ただ、プロの世界の怖さを、まだ本当の意味では分かっていない若武者たちは、特に投げる喜びに酔い、自分の限界を知らぬ間に超えてしまうことがある。
2001年、
巨人の
條辺剛もそうだった。
4月3日、條辺のブレーク記念日である。
神宮での
ヤクルト戦、降りしきる雨もあってリズムに乗り切れなかった巨人先発の
工藤公康が5回で3失点。巨人は4対3と、わずか1点のリードになった。当時、巨人のリリーフ陣が崩壊状態にあり、
長嶋茂雄監督が6回から思い切って投入したのが、プロ2年目、19歳の條辺だった。
「あの日は、自分の最終テストだと思っていました。だから必死でしたよ。ウチの場合、一度ファームに落ちたらいつ上がれるか分かりませんからね」(條辺)
重い速球で押し、6回を抑え、7回には一死二塁で
ペタジーニというピンチにもストレートを5球続けて空振りの三振に仕留めた。結局、9回まで投げ切り、4イニングをノーヒットでプロ初セーブだ。
長嶋監督は「いやあ、いよいよ出てきましたね。新世紀の若武者が」と破顔一笑。條辺も「きょうは忘れられない日になりそうです」と声を弾ませた。巨人では10代投手のセーブは史上初でもあった。
以後、條辺は、ひたすら投げまくった。素直な性格で多少違和感があっても「行け」と言われたらマウンドに上がった。ただ、徐々にストレートが走らなくなっていった。肩が壊れた。
それでも翌年はだましだましで47試合に投げているが、03年以降は、もうダメだった。親しい記者は「僕の肩、どうなってるのかな」と條辺がつぶやていたのを聞いたことがあるという。
プロ野球選手としては優しすぎたのかもしれない。
いま第二の人生で「讃岐うどん條辺」を経営、成功しているという話を聞くとうれしい。
写真=BBM