試合中はカツラを外したスティーブ
今年も数多くの外国人選手がやってきた。毎年そうだが、プロ野球で優勝を勝ち取るために彼らの活躍は必要不可欠だ。個性的な選手も多いのも外国人選手の特徴だろう。ファンの人気を博した選手も多い。
私も選手として、コーチとして、監督として、外国人選手と接してきた。その中で西武時代ではスティーブも心に残っている。私が現役最終年、1980年にチームの一員となったのだが、守備位置が一緒のサード。「守りはオレのほうがうまいな」と思ったが、バッティングではかなわなかった。左右両打席から、巧みなバットコントロールでボールをとらえていく。長打はないがコンパクトなバッティングは秀逸だった。
プレー以上に、印象に残っているのが“頭髪”のことだ。球場にやって来るとき、スティーブはカツラをかぶっており、練習になるとそれをロッカーに置く。試合でもそのままプレーし、終わって帰るときにまたかぶる。カツラをつけているか、つけていないかで、だいぶ顔が違っていたことを覚えている。
そのほかにも西武には素晴らしい外国人がいた。例えば郭泰源。細身ながら体にはバネがあり、そこから快速球とキレ味鋭いスライダーを投じる。そのすごさはここであらためて語らなくとも、読者の皆さんもよくご存じだろう。
素顔も非常にいい男。それに酒が好きだった。85年、タイゲンが来日したころ、一緒に大阪で私の知っている鉄鍋の店へ行ったことがある。そこで老酒、紹興酒などをガバガバ飲んだ。店が終わり、そこの主人と「一件、行こうか」と言って向かった先でもウィスキーをストレートで口に運ぶ。心配になったが、タイゲンは「ダイジョウブ」と。マウンドではすごいストレートをほうって、マウンドを降りるとウィスキーのストレートか、なんてことが頭に浮かんだものだ。
もちろん、
デストラーデも印象深い。3年連続本塁打王を獲得するなど、強打を誇るバッティングが目を引いたが、それよりも日本に溶け込もうとする姿勢が素晴らしかった。われわれが日本語で話しかけると、デストラーデはそれを繰り返す。日本語を覚えようと躍起になっていたのだ。コーチに言われたことも一生懸命にやっていたし、とにかくナイスガイ。デストラーデはキューバ出身で亡命してアメリカへ。いろいろと苦労してきただろうから、「絶対に成功しよう」という気持ちが強かったのだろう。
写真=BBM