80年を超えるプロ野球の歴史。球界の偉大な先人たちが残した、愉快で痛快な「コメント」を紹介していこう。 「村田が村田になった」の宣言
村田の投げた試合で、印象に残っている2試合がある。1つ目は1972年4月28日の東映戦(後楽園)。17対10の大乱戦でロッテが勝った試合。村田は勝ち投手となったが、先発ではなく2番手。3回2/3を投げて、被安打6(本塁打1)、4四球、失点5。これじゃあまるで敗戦投手の数字。調べてみると7回二死を取ってから
高橋博に3ランを食らっている。プロ5年目なのに、球が速いだけで、まるでルーキーのような工夫のなさ。
2つ目は、75年4月30日の阪急戦(西宮)。阪急の先発は、鳴り物入りで入団したルーキーの
山口高志。とにかく、そのスピードボールはケタ外れ。山口はここまで2勝1敗だったが、9回にボールが一番速くなると言われたほどスタミナもあった。
ロッテ打線は、やはり山口の速球が打てない。試合は2対7でロッテの完敗となった。試合後、ロッテ・
金田正一監督は、悔しさのあまりとんでもないことを口走った。
「兆治(村田)より山口のほうがはるかに速い。兆治もロッテも山口に永久に勝てんワイ」
村田はロッテのエース格になろうとしている男である。前年の対
中日日本シリーズでは胴上げ投手になっている。その村田をそこまで言うか!? カネやんの“予言”がほぼ的中して、山口はこのシーズン、ロッテ戦4勝1敗(その後、村田との先発対決はなかった)。
思い返すと、この試合の村田、山口に対抗心ムキ出しでストレートばかり投げまくったような気がする。フォークで済むところをストレートで行ってガツン、その繰り返しだったと思う。
この2試合は村田にも苦い記憶を刻んだのではなかったか。村田が“サンデー兆治”として奇跡の復活を遂げたのが85年(前年の0勝から17勝)だが、それから2、3年後に川崎球場で村田の話を聞く機会があった。村田はやはりこの試合を覚えていた。苦笑しながら「そんなことも言われましたねえ」。
そのあとに続けた言葉が、「僕のフォークはストレートより速いんですよ。冗談と思うでしょうが、本当です」だった。のちに村田は「僕のフォークが完成したのは74年くらいから。フォームの完成に伴ってフォークの威力も増していった」と語っているが、とすると72年はもちろん、75年もフォークはまだ完成途上だったことになる。
「フォークはストレートより速い」の言葉は、「村田が村田になった」という宣言だった。つまり、打者は村田のストレートとフォークを判別できなくなったということだ。こういうフォークは
野茂英雄も
佐々木主浩も投げられなかった。
文=大内隆雄 写真=BBM