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プロ野球世代別ベストナイン

【世代別ベストナイン】「1954年」攻守走に投手陣も万能な“少数精鋭世代”/佐藤義則、ブーマー、田代富雄

 

プロ野球史を彩ってきた数多くの名選手たち。生まれた世代ごとに週刊ベースボールONLIN編集部がベストナインを選定して、“史上最強世代”を追いかけてみる。

選手数は激減も戦力は安定



 1954年に生まれた世代の一軍出場選手は、総数が前年までの70人台から一気に56人まで減った。それでも、盤石の投手陣と攻守走にバランスの取れた打線を擁する、まさに“少数精鋭”だ。投手陣には先発でも救援でも成功を収めた好投手が3人も並ぶ。

【1954年生まれのベストナイン】(1954年4月2日〜55年4月1日生まれ)
投手 佐藤義則(オリックス)

捕手 大宮龍男日本ハムほか)

一塁手 ブーマー(阪急ほか)

二塁手 田野倉利男中日ほか)

三塁手 田代富雄(大洋)

遊撃手 高代延博(日本ハムほか)

外野手 島田誠(日本ハム)
    松本匡史巨人
    青木実ヤクルト

指名打者 ゲーリー・レーシッチ(中日)

 ベストナインには阪急からオリックスにかけて21年の長きにわたって活躍を続け、85年に21勝を挙げて最多勝に輝き、95年には当時の史上最年長40歳11カ月でノーヒットノーランを達成した佐藤義則を据えた。通算165勝は、この世代では最多だ。

 通算601試合登板で最多なのが斉藤明雄(明夫。大洋)で、低迷するチームで128勝133セーブという成績を残したヒゲの右腕。クローザー時代も現在のような1イニング限定ではなく、1投手3イニングまでという規定がある球宴で、7回からの登板で延長戦までの5イニングを投げ切ったこともある。延長戦は3イニング限定という規定の例外とされたためで、現在は延長戦がないため、ルールが変わらない限り史上唯一のことだ。

 通算防御率では佐藤、斉藤をしのぐのが、若手時代は「史上最速」との呼び声も高い快速球を武器にクローザーとして、ヒジ痛から復活すると投球術を駆使して先発として活躍したのが鈴木孝政(中日)。3人とも右腕で、全盛期は短かったが、プロ1年目に先発投手タイトルを総ナメにした木田勇(日本ハムほか)が貴重な左腕だ。その木田をリードした“攻撃型捕手”の大宮龍男が司令塔だから、木田も先発として相手打線には怖い存在となる。現在は中日の監督を務める森繁和西武)も同世代。投手陣は相手の打線によって柔軟に編成できる余裕がありそうだ。

強打堅守の内野陣と俊足の外野陣


阪急・ブーマー


 一塁にいるブーマーは84年に三冠王となって阪急に最後の優勝をもたらした強打の助っ人で、柔らかいグラブさばきで一塁守備にも安定感があった。一方で、本塁打か三振かという“もろさ”をファンに愛されたのが三塁の“オバQ”田代富雄。若手時代は“人間扇風機”と揶揄され、引退試合の現役最終打席でシーズン初安打となる満塁本塁打をスタンドに叩き込んだ。

 対照的に、二塁にいる田野倉利男(正樹、利長、利行)は巧打のユーティリティーで、遊撃の高代延博(慎也)も小柄ながら堅守に小技に長けた打撃が光った“ちびっ子の星”だ。その高代と一、二番コンビを組んだのが島田誠で、11年連続2ケタ盗塁の俊足外野手。同じく外野の青木実も代走のスペシャリストから81年の盗塁王に駆け上がった韋駄天で、翌82年から2年連続で盗塁王に輝いたのが“青い稲妻”松本匡史だから、外野の守備範囲では他の世代には負けそうにない。指名打者に回ったゲーリーは88年の優勝にも貢献した長距離砲だ。

 打線にとって最大の弱点は選手層の薄さだろう。故障は禁物。いくら万能の投手陣とはいえ、野手の代役をさせられるとなったら話は違ってくる。“無事これ名馬”こそ、この世代の必勝法となりそうだ。

写真=BBM
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