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編集部員コラム「Every Day BASEBALL」

ダメ虎って死語?

 

近しい者への愛憎が交錯した響き


きれいに虹がかかった甲子園。2009年の1枚だ


 最近、聞かなくなった言葉に『ダメ虎』がある。

 これは関西スポーツ紙が頻繁に使った言葉だが、単なる批判ではなく、どこか近しい者への愛憎が交錯した響きがあった。いわゆる「ウチの旦那(ウチの女房)はダメなヤツ」的な使い方だ。

 分かりにくい? そうか。では少し昔になるが、1995年に出した『阪神タイガース60年史』の序文を引用しよう。

 冒頭が「阪神ファンは『デキの悪い息子』を溺愛する親に似ている」だ。

 続けよう。

「成績は並み以下。ちょっと前までは、いつもビリだった。しかもゴタゴタをよく起こす問題児。普通の親なら見放すところだ。しかし阪神ファンは、世にも情け深い親なのである。デキの悪い息子ほど可愛いという気持ちが彼らにはよく分かる」

 若いファンなら「なんでやねん! アホか、タイガースは、そんな弱ないわ。お前ら読売の回しもんか!」と怒るかもしれない。

 違う。当時、というかすご〜く長い間、阪神は弱かった。ほんとにアホみたいに弱かったのだ。

 その弱い阪神を自らの人生の一部として愛したファンがたくさんいた。「ダメ虎」は、そんな人たちがため息交じりに使った言葉でもある。

外様監督で変わったチーム


 阪神は、戦前から東の雄であり球界の雄でもあった巨人に対抗する西の雄であり、王貞治長嶋茂雄を擁した巨人V9の時代にも幾度となく優勝に近づいた。エリートの巨人に対し、少しヤンチャな阪神。最後の最後で負けてしまうあたりも判官びいきの日本人の心を揺さぶり、関西だけではなく、全国各地に熱狂的なファンがいた。

 しかし、セ・リーグで一番遅かった78年の最下位からタガが外れたように、一気に転落する(初出より修正)。85年こそ優勝、日本一を飾り、日本中を熱狂で包んだが、87年以降の順位は6、6、5、6、6位。92年、新庄剛志亀山努らの活躍で2位に入り、一瞬、夢を見せるも、以後4、4、6、6、5、6、6、6、6位……。ドラフトで12球団の戦力が均等化した70年代半ば以降、屈指の長さの暗黒時代と言えるだろう。詳しい説明はしないが、「たけし軍団より弱い」「PLより弱い」と言われたこともある。

 60周年の95年は、暗黒時代の底なし沼に、どっぷり沈んでいた時期だ。 

 加えて、このチームの特徴はグラウンド外のバタバタ、いわゆるお家騒動だ。弱いときだけではなく、強いときもしょっちゅうもめた。週刊ベースボール創刊の58年は3年連続2位だったシーズンだが、前年オフにミスタータイガース、藤村富美男監督が解任されて一選手に戻り、1年やって引退。10年選手の権利を得ていた58年の首位打者・田宮謙次郎は大騒動の末、そのオフ、移籍している。

 以後も村山実江夏豊田淵幸一らファンに愛されたスーパースターが、いずれも追われるように引退、移籍でチームを去った

 大きく変わったのが、2002年、星野仙一監督の就任だ。先ほど羅列した順位の最後の6位の後である。闘将と呼ばれた外様監督でチームは生まれ変わり、ファン気質も劇的に変わった。以後、甲子園は、どのカードでも、ほぼ満員。下品なヤジも、スタンドでのケンカも一気に減った。

 ご存じの方も多いと思うが、今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』では、現存する12球団の歴史を過去の記事から再構築する別冊を1カ月に1冊出している。

 4月28日発売の第3弾が阪神編である。インタビューでは金本知憲現監督、レジェンド・藤川球児をはじめ、ミスタータイガース、田淵幸一、掛布雅之両氏にも登場いただいた。栄光だけではなく、泥臭い逸話もたっぷり入れ込み、当初の編集部の想定より、かなり人間くさい1冊になった。若い阪神ファンの方にもぜひご一読いただければと思う。

 ちなみに、この1冊は正確に球団史を追うわけではなく、『週べ』が、阪神をどのように扱ってきたかをテーマにしている。「あの場面がないやんけ」と思われることも多々あるだろうが、それは2025年の『阪神90年史』までお待ちいただきたい。

文=井口英規 写真=BBM
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