今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。 “暴力シリーズ”と命名される要因となった試合
今回は『1961年11月13日号』。定価は30円だ。巨人─南海の日本シリーズは第5戦まで終わり巨人の3勝2敗となっている。この1冊も前号同様、ほぼ日本シリーズ一色だ。
すさまじかったのが後楽園での第4戦だ。“暴力シリーズ”と命名される要因ともなった試合である。
事件の発端は、南海が3対2とリードして迎えた9回裏だ。無死一塁から四番手で登板したのが、第1戦、第3戦で先発していた南海のエース、
スタンカだった。スタンカは代打・
坂崎一彦から三振を奪い、
国松彰を一ゴロで一走を二封。二死二塁とした。
続く
藤尾茂が一塁へのフライ。万事休すと思われたが、これを南海の一塁手・
寺田陽介がポロリで一、二塁に。さらに続く長嶋茂雄の当たりもサードへの平凡なゴロと思われたが、今度は
小池兼司がファンブルし、なんと二死満塁になった。
迎えるは、このシリーズ好調の
宮本敏雄。第3戦ではスタンカからホームランを放っていた。
それでもスタンカは2ストライク1ボールと追い込んだ。しかし、決め球と低めに投げ込んだ変化球を円城寺球審にボールと判定され、激昂。捕手の
野村克也も珍しく興奮して猛抗議したが、もちろん、判定は覆らず。
試合再開後、スタンカが興奮収まらぬまま投げた1球を宮本に右前に運ばれ、これがサヨナラ打(4対3)。さらに、このときスタンカはベースカバーに入る動きのまま、円城寺球審を体当たりで突き飛ばし、そのまま南海の選手が円城寺を囲んで小突き回す騒ぎとなった。
スタンカは「あの球は僕がリーグ戦の後半から使い始めた落ちる球だ。自信を持って投げた球だ。あのコースはこれまでのゲームでボールになったことはない。あれがボールと言われるなら。僕のは全部ボールになってしまう」と憤った。
この号に掲載されてはいないが、この1球から
「円城寺 あれがボールか 秋の空」
との句が生まれたという。
翌日の第5戦ももめた。3回にスタンカが因縁の宮本の頭部近くに1球。これに宮本が怒り、バットを持ったままスタンカに向かい、そのまま両軍もみあいになった。
だが、なぜか最後はスタンカ、日系人の宮本は笑顔の握手でノーサイド。英語のやり取りだったので、両軍選手は狐につままれたような表情になった。試合はスタンカが3失点完投勝利をマークしている。
試合は巨人の3勝2敗で第6戦の舞台、大阪。結果は次号のようで、南海・
鶴岡一人監督は「あと1勝を取るつらさを教えたる」とすごんだとある。ただ、それはやや「最後は負け」が前提の言葉のように聞こえてしまうが、いかがか。
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では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM