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伊原春樹コラム

私と巨人02 巨人を追い越したと感じた90年頂上決戦/伊原春樹コラム

 

日本シリーズで巨人4連勝


90年、日本シリーズで西武に4連敗した巨人ナイン


 常に日本一を念頭に置いている巨人を追い落そうという“野望”を抱いて誕生したのが西武ライオンズだ。クラウンライターライオンズが西武に身売りして79年に埼玉県所沢を新しいフランチャイズとして再スタートを切ることになった。

 堤義明オーナーが最初の訓示で言ったのが次の言葉だ。

「球界の盟主と言われるジャイアンツに追いつき、追い越せ。私は西武を日本一と言われる球団にしたい」

 その言葉を聞いて私の体の中に電流が貫いたように感じた。私は大学時代、それこそ西武園遊園地などに遊びに行っていたから、西武という会社の大きさを知っている。これまでと違い、お金も使って、強いチームにしてくれるのでは――。期待感が体中を渦巻いたのだ。

 西武は球団創設4年目の82年に初の日本一。そして、翌年日本シリーズで巨人と相まみえて4勝3敗で勝利した。87年の日本シリーズでは私を一躍有名にしてくれたクロマティの緩慢プレーを突いた“伝説の走塁”もあって、再び巨人を倒した。当然、このプレーは私にとっての勲章だが、巨人との日本シリーズで最も印象深いのは3度目の対決となった90年だ。

 藤田元司監督の下、2位・広島に22ゲームの大差をつけて巨人はセ・リーグを制したが、西武も選手の脂が乗り切っていた。打者で言えば一番・辻発彦、二番・平野謙、三番・秋山幸二、四番・清原和博、五番・デストラーデ、六番・石毛宏典、七番は右投手なら安部理、左投手なら笘篠誠治、八番・伊東勤、九番・田辺徳雄。打つだけではなく、デストラーデ以外、すべて走力もある。三塁コーチャーの私は楽しくて仕方なかった。

 さらに守備力も高い。私は試合前のシートノックでノッカーを務めていたが、そこでも常に実戦を意識して強いノックを打っていた。外野手に対しても実戦さながらの低い送球を正確に投げることを徹底していたし、とにかく野手はすべて動きがいい。対して巨人。まあ、その他の球団もそうなのだが、シートノックでもどこかおざなりにやっていた。巨人ナインは西武のシートノックを見て、びっくりしたと思う。

 とにかく戦前から負ける気はなかった。私もミーティングで「ジャイアンツは目じゃないぞ」と選手を鼓舞。すでに巨人を追い越していたと誰しもが思っていた。

 日本シリーズの行方は初戦(東京ドーム)で決まった。初回、二死一、三塁で槙原寛己からデストラーデが先制3ラン。最強の助っ人が派手なガッツポーズを見せると、勢いで巨人をのみ込んだ。初戦を5対0でモノにすると、第2戦(同)は9対5、第3戦(西武球場)は7対0で勝利した。

 そして第4戦(同)。2点を先制されるも5回に一挙6点で逆転して、相手の戦意を喪失させ7対3。4連勝で巨人を圧倒して日本一に輝いた。試合後、岡崎郁が「私の野球観が変わった」と口にしたそうだが、それほど巨人にはショックな出来事だったのだろう。

写真=BBM
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