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プロ野球仰天伝説

阪急時代だけではない。2度あった西本幸雄監督の信任投票/プロ野球仰天伝説136

 

長いプロ野球の歴史の中で、数えきれない伝説が紡がれた。その一つひとつが、野球という国民的スポーツの面白さを倍増させたのは間違いない。野球ファンを“仰天”させた伝説。その数々を紹介していこう。

妥協を許さぬ鉄の信念を持った指揮官


阪急・西本幸雄監督


 1963年に阪急の監督となった西本幸雄。あふれんばかりの情熱と時に鉄拳でチームを鍛え上げたが、順位は6位から始まり、2位、4位、5位。フロントからは西本を外し、ヘッドコーチの青田昇を昇格させては、という話まで出て、選手たちにも付和雷同の空気が生まれた。66年、秋季練習初日、西本は選手全員を集めて言った。

「私についてこれる者は『○』、ついてこれないなら『×』と書け」

 前代未聞の監督信任投票である。結果、『×』が7、白紙が4。西本は辞意をフロントに伝えた。しかし、小林米三オーナー自らが必死の慰留。西本は翻意し、以後、若手を中心にこれまで以上に厳しく鍛え、黄金時代を築いていった。

 ただ、大毎監督時代の選手・山内一弘によれば、西本は大毎でも同じように「俺でいいか、おまえたちで決めろ」と言ったことがあった。妥協を許さぬ鉄の信念を持った指揮官だった。

写真=BBM
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