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石田雄太の閃球眼

心優しき鉄人・衣笠祥雄さん。クーパーズタウンのユニフォーム/石田雄太の閃球眼

 

豪快なスイングを見せる衣笠祥雄さん


 目の前に一冊の本がある。

 表紙には、自由の女神に見立てられたミスター・オクトーバーことレジー・ジャクソンがヤンキースのユニフォームを着たイラストが描かれている。今から30年前に発売された『'87米大リーグ総集編 MAJOR LEAGUE REVIEW』(ベースボールマガジン社)は1987年の秋、刊行された。当時、大学4年生だった野球好きは大リーグの情報に飢えていて、この本を隅から隅まで読み込んだものだった。

 その中に、3ページにわたって印象的な記事が掲載されていた。

『クーパーズタウンを訪ねて』

 スポーツライターの山際淳司さんが描いた、アメリカの野球の殿堂と博物館があるニューヨーク州クーパーズタウンを訪れたときのルポルタージュだ。日本の野球殿堂は後楽園球場の隣にあったのだが、アメリカの殿堂はマンハッタンから車で5、6時間かかるところにあるのだと書かれてあった。1987年1月、山際さんがクーパーズタウンを訪ねたときにはその街は真っ白な雪に覆われ、それでも殿堂と博物館はオープンしていたのだという。その旅は「広島カープの衣笠祥雄選手と一緒だった」そうで、「かれにとって最後のシーズンになる八七年の、キャンプが始まる前にクーパーズタウンへ行ってみようという計画が実現したわけだった」(本文より)。

 衣笠選手にとっての1987年は、ルー・ゲーリッグの連続試合出場記録、2130試合に並び、抜き去ることになるシーズンだった。山際さんのルポには、クーパーズタウンの館長が「衣笠選手に、記録達成後、是非、思い出の野球用具を送ってくれるように」頼んでいた、というくだりがあった。そして1987年6月、衣笠はゲーリッグの記録に並び、そして抜いた。このルポが世に送り出されたのはその年の秋のことだ。

 この記事を読んだ当時の大学4年生は、言い知れぬ衝動に駆られた。クーパーズタウンへ行ってみたい――スマホどころか携帯電話もない時代。人生初の海外旅行でニューヨークへ降り立ったその翌朝、まだ治安が悪かったマンハッタンのポートオーソリティ(バスターミナル)から、朝6時半発のクーパーズタウン行きのバスに乗り込んだ。まだ陽も昇らない真っ暗な街を、そびえ立つ摩天楼の灯りがこうこうと照らしている。耳が痛くなるほどの寒風、けたたましく鳴り響くサイレンの音。初めて海外へ出た大学生を圧倒するだけの威圧感を、当時のニューヨークという街は醸し出していた。山際さんと衣笠選手がクーパーズタウンへ行ってから約1年後の、1988年2月のことだ。

 昼を過ぎた頃、バスはクーパーズタウンに着いた。抜けるような青空と真っ白な雪、そして街を彩る“野球”――店のあらゆる看板にはボールとバットが描かれていた。さっそく観に行ったホール・オブ・フェイムには、ベーブ・ルースやルー・ゲーリッグら、アメリカの歴史そのものを支えてきた野球選手たちが、レリーフとなってその名を留めていた。

 こんな季節に日本から来た若者が珍しかったのだろう。山際さんのルポが載った本を博物館の人に見せたら、館長のギルフォールさんが出てきてくれて、館内を案内してくれた。そして、「これは届いたばかりのユニフォームだよ」と言って見せてくれたのが、胸に“CARP”と書かれた白いユニフォーム、背番号は3――そう、山際さんのルポにあった、記録達成後に送った思い出の野球用具、衣笠祥雄選手のユニフォームだったのである。大らかな時代だったということでお許し願いたいが、「これを着て写真を撮りたい」という大学生の無茶なお願いをギルフォードさんは快く許してくれた。そのせいで、クーパーズタウンに保存されているそのユニフォーム、最後に袖を通したのは衣笠選手ではなくなってしまった。

 そんな昔話を後日、仕事でご一緒した衣笠さんに話したことがある。若気の至りでしてしまったことなので、衣笠さん、もう一度、クーパーズタウンへ行ってあのユニフォームに袖を通し直して、衣笠さんのユニフォームに戻して下さい、なんて冗談めかしてお願いしたのである。すると衣笠さんは笑って、こう言ってくれた。

「そうやってね、僕のユニフォームがみんなのユニフォームになってくれているのなら、本望ですよ」

 心優しき鉄人、衣笠祥雄さんの早過ぎる訃報に耳を疑った。衣笠さんがクーパーズタウンを訪れたときのことは山際淳司さんの著書『バットマンに栄冠を』に詳しい。故人を偲んで、ぜひご一読を……。

 心からお悔やみ申し上げます。

文=石田雄太 写真=BBM
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