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プロ野球仰天伝説

球団存続のためなら何でもやった赤嶺昌志/プロ野球仰天伝説154

 

長いプロ野球の歴史の中で、数えきれない伝説が紡がれた。その一つひとつが、野球という国民的スポーツの面白さを倍増させたのは間違いない。野球ファンを“仰天”させた伝説。その数々を紹介していこう。

野球が存続できれば、それでいい


赤嶺昌志


 赤嶺昌志――野球史の中では悪役として見られがちな人物だが、話はそう単純ではない。

 戦前は名古屋の理事として必死にチームとプロ野球存続の道を模索した。ユニフォームを国防色、帽子を戦闘帽にしたのも赤嶺の提案からだ。一部から「軍部への迎合が過ぎる」と批判されたが、本当は威張りまくる軍人は大嫌い。野球が存続できれば、それでいいと思っていた。

 1943年限りで、中部日本新聞が経営から手を引くと、赤嶺は選手を理研工業の所属にし、球団名も産業に変えた。そこから私財をなげうって、選手を支えようとする。このときの恩義から赤嶺と行動をともにする、いわゆる“赤嶺一派”が生まれる。

 戦後、頼み込んで選手たちをふたたび中部日本に預け、自身は代表となったが、チームに内紛が起こり、尻尾切りのように解任された。ここから赤嶺を慕う小鶴誠金山次郎らが退団。その後も赤嶺に従い、いくつかの球団を渡り歩いていくことになる。

写真=BBM
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