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谷繁元信コラム

「初めて日本一になったときのユニフォーム、それこそがドラゴンズのルーツ」/谷繁元信のユニフォーム論03

 

『ベースボールマガジン』で連載している谷繁元信氏のコラム「仮面の告白」。ネット裏からの視点を通して、プロ野球の魅力を広く深く伝えている同氏だが、今回はユニフォームに関して、だ。

丈の長い上着の注文理由


中日時代は4度、ユニフォームのデザインが変わった


 プロ野球選手のユニフォームはほぼオーダーメイドです。全員が採寸して、自分の体に合わせます。基本的な形というのがメーカーにもあって、M・L・XL、さらにはその上。基本サイズのユニフォームを着て、そこから袖をあと何センチ伸ばしてほしいとか、肩の間口を少しきついので大きくしてほしい、脇の下はもともと切れていない形のものは引っかかりがあるので、ハサミで切れ目を入れて、より開いて動きやすくするなど、そういうオーダーをメーカー側が聞いてくれます。

 それは選手個々で違います。袖を長くしたい選手もいれば、逆に既存のものより短くしたいという選手もいます。ですから見た目には一緒に見えるユニフォームでも、すべて一緒ということはありません。全員が違うと思います。

 僕もその時々で変えました。たとえば上着の丈の長さ。それは普通ベルトの下に隠れているじゃないですか。でも、キャッチャーは常にしゃがんでいるので、丈が短いと背中が出てしまうんです。ですから丈を少し長くしてくれと注文したこともありました。

 採寸は年に1回。よほどの変更がない限り「去年と一緒でいいですか」と聞かれて、作ります。体重はその年によって変動するので、サイズを変えることもありますが、5キロ減なら少しサイズを絞らないといけませんが、5キロ増えたぐらいでは変わらないと思います。

 背番号に関しては、入団したときは「1」だったのが、大洋がベイスターズになる93年から「8」に変わりました。「1」がプロテクターの背中の縦のストラップと重なって数字が隠れてしまうことも一因だったのですが、もう一つは進藤達哉さんが内野でレギュラーを獲りそうな時期で、空き番号の「8」を勧められたので、それでいいですと。どうしても1番でなければというこだわりもなかったし、8という数字も末広がりで嫌ではなかったですから。

 背番号の変更と同時にユニフォームもベイスターズの縦縞(ホーム用)に変わるわけですが、縦縞ってデカく見えるなと感じました。僕はそれまで一度も縦縞を着たことがなかったので、あれは結構気に入っていました。デザイン的にもあか抜けて、新生チームにうってつけのユニフォームだったのではないでしょうか。

限定ユニフォームは否定しないが……


中日が初の日本一に輝いた際の1954年モデル


 慣れ親しんだユニフォームと別れを告げて2002年にはドラゴンズに移籍するわけですが、感傷はもちろんありました。でも、横浜もドラゴンズも青を基調にしたチームだったので、別に違和感はないだろうなと思いました。あれが赤だったら全然違っていたでしょう。

 僕の野球人生では大洋、ベイスターズというそれぞれの時代の中で一回もデザインが変わらなかったのが、ドラゴンズに入って4回ユニフォームが変わっているんです。そこで僕が考えたのは、ドラゴンズの元々のユニフォームは何だろうということ。調べてもらったら、最初に日本一になった1954年に着ていたモデルらしいんです。このページの写真にあるような「Dragons」のロゴと色。僕も年齢を重ねるにつれて、基本的なデザインというのは変えてはいけないんじゃないかなと思うようになった。ドラゴンズである以上は、やっぱり歴史のあるユニフォームを着なければいけないという思いがありました。

 もちろん、いまはグッズが売れなければいけない時代になっていますから、限定ユニフォームは否定しません。ユニフォームのデザインをいろいろ変えて、その中からお客さんに選んでもらったものを売っていくのは戦略として仕方がないとは思います。でも、どこかでベースとなるデザインは絶対に守っていくべきではないかと思う人間の一人です。

 たとえるとヤンキースがユニフォームを変えたかと言ったら何十年と変えていません。ドジャースもそう。日本で言うと、長い歴史を守っているのはジャイアンツのオレンジ&黒、阪神の黄色&黒くらいでしょう。そういうところは見習ったほうがいいんじゃないかなと思います。中日の場合、歴史で言えば、巨人にも阪神にも匹敵します。にもかかわらず、ドラゴンズブルーと言ってもいろんな青が使われているわけですよね。だから、どの青が本当のドラゴンズなのか。初めて日本一になったときのユニフォーム、それこそがドラゴンズのルーツでしょう。それを大事にしていってほしいです。

写真=BBM

●谷繁元信(たにしげ・もとのぶ)
1970年生まれ。江の川高校(現・石見智翠館)にて甲子園に出場し、卒業後、ドラフト1位で横浜大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ)に入団。98年にはベストナイン、ゴールデン・グラブ賞、最優秀バッテリー賞を獲得しチームの日本一に大きく貢献。2002年に中日ドラゴンズに移籍。2006年WBC日本代表に選出され、2013年2000本安打を達成。2014年シーズンから選手兼監督になり、2016年現役引退を表明。通算3021試合出場、27シーズン連続安打、同本塁打を達成(いずれもNPB歴代最高)。2016年に中日ドラゴンズを退任後は、各種メディアで評論家、解説者として活動を行う。著書に『谷繁流キャッチャー思考』(日本文芸社)。
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