浜風をうまく使ったバース
前回は、
阪神で1985、86年と2年連続三冠王となったバースさんとの対戦での風、浜風の話に入る前で終わった。
甲子園の浜風は、ライトからレフト方向に吹く風で、強いときはライト方向の打球がこれに負けて伸びず、センターからレフト寄りの打球は風に乗って伸びる。左打者でバット操作がうまいバースさんは、この風に乗せるのが、途中からすごくうまくなった。
たぶん、日本の投手が勝負を避けて外角一辺倒になっていたのもあるんだろうね。無理に引っ張るより、流して風に乗せたほうが確率が高いと分かったんだと思う。
でも、俺たちカープの攻めは逆だった。浜風が吹いているときは内角を徹底して攻める。捕手の
達川光男さんも内角にしか構えなかった。
とにかく引っ張ってほしかったんだ。浜風に負けて、まずスタンドには届かないからね。特に85、86年のバースさんの場合、ホームランだけは打たれたくない、ヒットはやむなしの攻めだった。
ただ、天気が悪くなると甲子園は風がなくなり、逆方向の風が吹いたりする。そうなると今度はアウトコースを増やす。俺は左打者へのインコースにこだわっていたから、浜風ありで内角9の外角1、なしなら五分五分くらいだったけどね。
左打者は絶対抑えろ、そのために左打者のインコースを磨けと言ったのは、監督だった
古葉竹識さんだった。
実際、左投手がきっちり投げたインハイを左打者はまずさばけない。つまるかファウルがせいぜい。ストライクゾーンであってもね。同じ内角でもインローは距離が取れるからヒットゾーンになる。まあ、得意なバッターはそんなにいなかったけどね。
ただ、右打者ならクロスファイアでガンガン突いていけばいいんだけど、左投手が左打者のインハイに投げるのはすごく難しい。俺はプレートの一塁側を踏んでいたから、打者の体に当てないように投げると、どうしても真ん中方向に角度がつく。
インハイはコースが甘くなると、長打のリスクがあるし、打者側にいくと死球の可能性がある。技術と勇気で投げる球だね。そして、その勇気も技術は練習しなきゃ生まれない。プロは過信じゃダメ。できるはず、では試合で勝負できない。
俺も一度、二軍に落とされ、そこでインハイを徹底的に投げた。やりながら、いろいろ考えて出した答えは、いまでいうツーシームだね。俺の場合、握りじゃなく、投げ方を工夫してみた。いつか説明するチャンスもあると思うけど、それで沈むんじゃなくて浮き上がるような球、要は“抜け球”を意図的に投げたんだ。
狙うコースは打者のグリップ下あたり。軌道的には肩口から入ってくる球で、打者が甘いと思ってバットを振り始めてから食い込んでいく。変化は遅ければ遅いほうがいい。
さらに言えば、インコースの出し入れも重要。インハイのボール球を見せてからなら、少し甘めに投げると簡単にファウルでカウントを稼げたからね。
嫌われて当然だったかな
当然、死球も多かった。
巨人のクロマティは、体をベースにかぶせるような構えだからよく当てたし、ずいぶん怒られた。けど、それでも投げたよ。そうしなきゃ抑えられないからね、しかも1試合の全打席をこのパターンで攻めた。嫌われて当然だね。
もちろん、インコースだけで抑えようとしたわけじゃない。俺は決め球から逆算して配球を考えたけど、最後は右打者ならスクリュー、左打者ならスライダー系でアウトローのストライクからボールになる球。それを遠く見せるためにインコースにしつこいくらい投げてた。それで相手の投手側の肩が開いて、腰が引けてきたと思ったら外に行く。インコースを意識させれば、多少ボール球でも手を出してくれるからね。
踏み込んでくる気配があるうちは、しつこく内角を狙う……なんかすごく嫌な性格のヤツみたいだね。。
俺がクロマティと対戦したのは1980年代中盤から後半。89年は打率4割かと思うくらい打ちまくったけど、俺は別に怖くなかった。巨人自体も左右ジグザグ打線にこだわったチームだったけど、俺は左打者に自信があったからむしろ投げやすかった。右打者に打たれても、左打者を抑えていけば大量得点はないからね。その結果が巨人戦33勝31敗につながったんじゃないかな。
インハイは、俺の生命線だった。これで“勝てる投手”になれた。バースさんも、クロマティもそうだけど、左の強打者で、失投を見逃さずホームランにしてしまう彼らがいたからこそ、俺は自分の技術を妥協なく磨き、それなりに長く野球人生を送れたんだと思う。
【クロマティ×川口対戦成績】
1984年3打数3安打、打率1.000
1985年8打数1安打、打率.125
1986年24打数8安打、打率.333
1987年15打数1安打、打率.067
1988年12打数2安打、打率.167
1989年24打数5安打、打率.208
1990年21打数6安打、打率.286
写真=BBM