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球団別オールタイム・ベストオーダー

阪神タイガース ミスター・タイガースがそろい踏みする最強オーダー/球団別オールタイム・ベストオーダー

 

80年を超えるプロ野球の歴史は、それぞれの球団、それぞれの監督や選手たちが紡いできたものだ。1人1チームを原則に、名将、名選手たちが時空を超えて集結。オールタイムの“優勝チーム”を探してみよう。

巨人のお株を奪う重量打線



 大阪タイガースとして1935年12月に結成。プロ野球で2番目に誕生したチームが阪神だ。37年から2年連続でライバルの巨人を年度優勝決定戦で下し、始まったばかりのプロ野球を大いに盛り上げた。

 阪神を名乗ったのは戦時色の強まった40年に英語を敵性言語として球界から追放したとき。現在の阪神タイガースとなったのは61年で、翌62年には初のセ・リーグ制覇を果たした。2リーグ制となって唯一の日本一は85年だ。2番目に長い歴史を誇るラインアップは、巨人のお株を奪う重量打線。チーム219本塁打を残した85年を上回る空中戦になりそうだ。

【ベストオーダー】
監督・吉田義男

一(中)真弓明信

二(二)藤村富美男

三(一)ランディ・バース

四(三)掛布雅之

五(左)景浦将

六(捕)田淵幸一

七(右)岡田彰布

八(遊)藤田平

九(一)村山実

 エースは村山実。プロ初登板はオープン戦で、“初代”ミスター・タイガースでもある藤村富美男の引退試合。1年目から全身を躍動させ、悲壮感すら漂うピッチングで巨人、中でも長嶋茂雄に立ち向かい、ミスター・タイガースと呼ばれた唯一の投手だ。ミスター・タイガースと呼ばれた選手は歴代で4人いるが、全員が一堂に会するオーダーとなった。

「四番・サード」に重なるのが2人のミスター・タイガース。“初代”の藤村と“4代目”の掛布雅之だ。創設から参加して初代の本塁打王にもなった藤村は、戦後の1リーグ時代は“物干し竿”と呼ばれた長尺バットを巧みに操り、当時のホームラン・ブームを引っ張った。“魅せる”ことにもこだわり、そのパフォーマンスはライバルの巨人で「四番・サード」となった長嶋茂雄に受け継がれることになる。一方の掛布は、85年は不動の四番・サードとして全試合に出場。守っては現役のほとんどを三塁手として過ごしたところは藤村と異なる。

 投手と二塁手の“二刀流”でキャリアをスタートさせた藤村は、連覇の37年秋、38年春は二塁と外野を兼ねていた。三塁に定着したのは兵役から復帰してからで、戦後は“ダイナマイト打線”の主軸に。長距離砲が並ぶ打線をイメージしそうな呼称だが、実際は単打をたたみかけ、機動力を絡めて、勝負強さで鳴らした打線だった。そこで、藤村は戦前の連覇で多く担った二番・二塁に。メジャーで言われる「二番打者最強説」の考え方で藤村が二番にいると、打線の迫力も極まる。

 その前の一番は真弓明信。85年も一番打者ながら自己最多の34本塁打を放って打線を引っ張った。そこへ藤村が続き、三番はバース。MVPにもなった85年から2年連続で三冠王にも輝いた“史上最強の助っ人”で、四番には定位置の掛布だ。その85年は五番には岡田彰布がいて、巨人戦でのバース、掛布、岡田の“バックスクリーン3連発”は今も語り草だ。

 ここでも岡田は五番でもいいが、下位打線の経験が少ない強打者がまだまだいる。四番打者として初の連覇に導いた景浦将と、70年代の四番打者だった“3代目”ミスター・タイガースの田淵幸一だ。ここでは、それぞれプロ1年目に多く務めた打順に並べてみた。36年の景浦は主に五番・サード。田淵は69年に六番打者、岡田は80年に七番打者が多く、それぞれ新人王に輝いている。景浦は38年に多く守った左翼へ、岡田は84年に多かった右翼へ回った。85年の正右翼手だった真弓は中堅手として外野の要を担う。

個性的な先発ローテーション


阪神・小林繁


 阪神の歴史における最高の遊撃手は“牛若丸”吉田義男だろう。ただ、吉田は日本一を経験した唯一の監督でもあることから、ここでは監督に。その遊撃には現役終盤の吉田を二塁に追いやった藤田平が入った。生え抜き選手で初めて通算2000安打に到達した最強のヒットメーカー。78年には208打席連続無三振もあり、長距離砲がズラリと並ぶ打線にあって貴重な職人タイプだ。

 ここでは控えに回ったが、2000年代に2度の優勝に貢献したのが現在は監督を務める外野手の金本知憲と、内野手の今岡誠、捕手の矢野輝弘(燿大)だ。60年代にも2度の優勝があるが、一塁には藤本勝巳遠井吾郎ら、外野には藤井栄治らの強打者がいた。また、700試合連続フルイニング出場の三宅秀史(伸和)は三塁手で、華麗かつ堅実な守備で“史上最高の三塁手”と呼ばれた。

 連続出場で軍配が上がるのは現役の鳥谷敬だ。堅実な内野守備では和田豊も負けていない。機動力に難のある打線を補うなら、古くは“ダイナマイト打線”の一、二番に並んだ外野手の呉昌征金田正泰、近年では“レッドスター”赤星憲広もいる。安打製造機のマートン、“代打の神様”川藤幸三桧山進次郎もいて、層の厚さでは巨人に勝るとも劣らない。

 阪神だけで通算200勝に到達した投手は2人のみ。通算222勝の村山をしのぐのが、233勝の若林忠志だ。村山と同様に巨人に牙をむいたのが変則サイドスローの小林繁。60年代のV戦士では小山正明とバッキー、00年代には井川慶下柳剛らの左腕がいる。個性的な先発ローテーションとなりそうだ。

 85年には山本和行中西清起の“ダブル・ストッパー”がいたが、00年代のウィリアムス、藤川球児久保田智之ら“JFK”もいて、救援陣にも不安はない。元祖“二刀流”の景浦も投手として計算できる。

 景浦、藤村、真弓、岡田は内外野をこなし、藤田は一塁や三塁も守った。打順だけでなく守備位置の入れ替えも可能なのが、打線の大きな特徴だろう。器用かつ最強の“ダイナマイト打線”で、王者の座をうかがう。

写真=BBM
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