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球界のディープインパクト、カープの先輩・大野豊さん【川口和久WEBコラム06】

 

怖いカープのローカルルール


先発でも抑えでも一流だった


 今回は、俺が現役時代、公私ともにお世話になった大野豊さんの話にしよう。

 軟式野球出身の左腕で、出雲信用組合からドラフト外で広島に入った。43歳まで第一線で投げた太く長くの息が長い選手だった。

 寮生活もしばらく一緒だった。俺は1981年入団だけど、ルーキーイヤー、寮には大野さん、高橋慶彦さん、北別府学さんと、すでに一軍で活躍している三巨頭がいた。慶彦さんのことは以前書いたけど、みんなタイプは違うが、すごくかわいがってもらった。

 大野さんは島根県出身だから鳥取県出身の俺とは山陰つながりもある。優しい先輩でね。何も知らん俺にいろいろなアドバイスをしてくれた。

 一番助かったのは、カープの「ローカルルール」を教えてくれたこと。たとえば、新人は二軍のバスの掃除も担当なんだけど、大野さんは「絶対にきれいにしておけ。灰皿にタバコの吸い殻が1本でも残っていると大変だぞ」と言ってくれた。実際、欠片でも残ってたら、本当にぶん殴られたからね。

 試合で投げて打たれたときも、真っ先に声をかけてくれるのが大野さんだった。

「気にするな。次があるぞ」って。

 初勝利の恩人でもある。82年7月15日の横浜戦(横浜)が俺の初勝利。先発ローテの福士敬章さんが巨人戦でぎっくり腰になって、代わりに初めて先発させてもらった試合だった。6回まで投げて、その後、3イニングを大野さんに抑えてもらったんだ。昔のリリーフはタフだね。

 大野さんにプレゼントしてもらったような1勝だった。

 覚えている人も多いと思うけど、テークバックが低い、村田兆治さん(元ロッテ)みたいな独特のフォームは、そのころからだった。ただ、球は速かったけど、コントロールが今ひとつで、球種は真っすぐとスライダーだけ。

 俺は不器用なタイプなのかなと思っていたけど、むしろ慎重だったのかな。しっかり自分のものにしてから使おうとしたのかもしれない。

 いつの間にか球種が増えて、“七色の変化球”と言われるようになり、制球力も上がった。ストレートの球威も最後まであったし、本当にすごいピッチャーだった。

身体能力は抜群


 びっくりしたのは体。ユニフォームを着ていると、やせ型に見えるかもしれないけど、すごい筋肉なんだ。しかも柔らかさがあって、まさに全身バネ。競馬で言えば、ディープインパクトだね。超一流のサラブレッドの体さ。 

 俺も、いろいろな選手を見てきたけど、身体能力は抜群だった。晩年、40歳近くなっても、日南のキャンプで走ると、大野さんがダントツに速い。若手がぐんぐん引き離されたからね。何やらせてもすごかった。

 ふだんの大野さんは、せっかちで、いつもリズムよく動いている。だから、先発もやったけど、抑えに向いている人だなと思っていた。要は、出番が来ると、「あ、出番ですね。いってきます!」で投げて、「はい、抑えてきました。帰ります」みたいな。

 ほんと、みずみずしくてシャキシャキしたレタスみたいな人。還暦は越えたけど、いまもシャキシャキ感たっぷりで若々しいよね。

 頭も切れる人だった。力、技、頭脳、優しさ。すべてがそろったスーパーマンだね。

写真=BBM

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