長いプロ野球の歴史の中で、数えきれない伝説が紡がれた。その一つひとつが、野球という国民的スポーツの面白さを倍増させたのは間違いない。野球ファンを“仰天”させた伝説。その数々を紹介していこう。 プロ野球史上、二度とないような結末
1973年8月30日の
中日戦。晩夏の甲子園はとても蒸し暑かった。開幕から阪神の江夏豊は大車輪。95試合中、38試合に登板(17勝10敗)。チームは首位戦線を走る。観衆は9000人。夏休みの宿題の追い込みなのに子どものファンが多かった。彼はこのことがうれしかった。そういう男なのだ。
4回、初めて走者を出した。1ボール1ストライクから内角球が
谷沢健一をかすった。あとで中日は、よくぞ谷沢が一塁を踏んでくれたものよ、となる。中日ベンチでは
与那嶺要監督が「ユキツラが頑張ってるのに」とお手上げ。先発の
松本幸行のことだ。4年目の左腕。翌74年に20勝して中日の優勝を支える男だ。こちらも5回二死までノーヒットだった。
その後、江夏は7回まですべて打者3人のみで終える(5回に1四球も盗塁失敗)。通常ならこのあたりで記者席は大騒ぎになる。記録を調べる。が、甲子園の記者席はみんなぼう然と見ていた。江夏、松本のサウスポー競演があまりにも見事だったのだ。
8回も三者凡退。記者席に火がついた。マウンドの江夏は冷静。9回も三者凡退。本当なら、これで記録達成だ。しかし、松本も2安打のみで二塁すら踏ませていない。
「ノーヒットは分かっていた。が、延長戦になったら“参考記録”かいな……ぐらいで、そんなに深刻には考えていない。ただ、とにかく早くケリをつけたかった」
10回には左翼大飛球もあったが、三者凡退。11回、もっとも苦手な
木俣達彦を先頭打者に迎えるも、投ゴロ。三者凡退。そして11回裏。打席に江夏。松本の初球。
「みんな疲れていた。両方のベンチも……そんな一瞬の空白と違うか」
江夏はフルスイングした。手ごたえ、感触……それは『六甲おろし』の大合唱となった。サヨナラ決勝ホームラン。プロ野球史上、二度とあるまい延長11回のノーヒットノーランに、自分でケリをつけた。
写真=BBM