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川口和久WEBコラム

達川光男さんがサッカーのワールドカップに出たら……[川口和久のWEBコラム]

 

冷静沈着、頭脳明晰な人だった


危ない球を投げた後なのか、巨人原辰徳に「まあまあ」とばかり手をかざす達川


 サッカー・ワールドカップが盛り上がってきたね。
 
 日本代表が南米のコロンビアに勝ち、アフリカのセネガルと互角の戦いをした。昔は日本がワールドカップ出場なんて夢のまた夢と言われていた。時代は変わったね。

 ただ、特に南米のチームだけど、「これは勝てんな」と思うのが演技力。足も引っかかっていないのに、あれだけ派手にコケるのは、いまの日本人選手には無理だよね。
 まあ、できなくてもいいのかもしれんけど。
 
 でも、歴代の野球人の中で、「この人がサッカーをやっていたら、絶対、南米に負けない、すげえコケ方をするな」と思うのが、カープの先輩・達川光男さん。

 当たってないのに死球とアピールしたり、さまざまなパフォーマンスで有名な伝説的なキャッチャー。いまはソフトバンクでヘッドコーチをしている。

 打者にもムチャクチャ話しかけてた。「仕方ない。ここはもう真っすぐしかないか」と言ってカーブを投げたり、「もうツーアウトだから打たせてやるよ。カーブね」と言って違う球種を投げさせたり。

 ヤクルト時代の大杉勝男さんが「うるさい!」とバットのグリップで頭をたたいたり、中日戦で監督の星野仙一さんから「タツ、いい加減にせい!」と怒鳴られて「すいません」と頭を下げてたこともあった。
 当時の広島市民球場は、ベンチの声がよく聞こえたからね。

 パフォーマンスじゃないけど、守備中にコンタクトを落として、審判含めて延々と探したシーンは、プロ野球ニュースの「珍プレー好プレー」でも使われて有名だった。あのとき俺が投げていたんだけど、あれで完全に力が抜けたな。

 ユーモアもあって楽しい人だけど、あのパフォーマンスは決してオチャラけてじゃない(と思う)。塁に出るため、打者を幻惑して投手を助けるために考え抜いた策だった。
 冷静沈着、頭脳明晰な人で、記憶力に関しては、あんなにすごい人に会ったことがない。

多重人格かと思うくらい……

 
 俺は1981年広島入団だけど、80年代は、いわゆるサイン盗みが当たり前で、バッテリーはそれを防ぐために、細かいサインを出した。アウトカウントやボールカウントで足したり引いたりしてね。

 83年に禁止された乱数表を使ってサインを出していた時代は、とても覚えきれないからピッチャーがグラブに表を貼り付けた。
 俺も覚えるのに四苦八苦したけど、キャッチャーは投手によっても変えるから、さらに大変だよね。でも、達川さんは、いつも完璧にやっていた。

 読んでたら怒られるかもしれんけど、決して完ぺきなキャッチャーではなかった。捕球で一度グラブが落ちるクセがあって低めをボールと判定されることがあったし、バッティングもイマイチ。 ただ、打者との駆け引きや投手の力の引き出し方というのかな、それを含めた捕手としての総合力は、歴代でもかなり上だと思う。

 達川さんがスタメンで出始めたのは、確か82年くらいだった。俺も同じくらいの時期に一軍に定着したから、スタートはほとんど一緒。だから先輩ではあるけど、最初はそこまで絶対的な信頼をしていたわけじゃない。

 サインどおりに投げてカンカン打たれると、ふてくされて首を振りまくったり、コノヤローと思って、ケンカ腰でやってたときもあった。

 だけど、どこかであの人は、俺の操縦法をつかんだ。こいつは抑えつけるより、自由にやらせたほうがいいって思ったんだろうね。「好きなように投げろ」とノーサインだったときもある。若手時代に俺はストレートとカーブだけの投手だったからできたのかもしれないけどね。

 冷静に見ることができるようになると、この人は投手のタイプ、性格をしっかり見抜いてるな、と思った。しかも一人一人じゃなく、投手陣全体を見ている。

 精密機械みたいな制球力の北別府学さん、球種が多い大野豊さんがいたから、俺が三振かフォアボールみたいなピッチングでもいいと思っていたんじゃないかな。相手打線も投手のバリエーションが豊富なほうが打ちづらいからね。

 抑え時代の津田恒実なら、真っすぐをいかに気持ちよく放らせるかだし、多重人格じゃないかと思うくらい投手によって使い分け、しかも全体を俯瞰して見ていた人だった。

 俺は達川さんと組んだから、あれだけ勝てたと思っている。ほんと、恩人だね。

写真=BBM
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