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プロ野球仰天伝説

史上最後の放棄試合はロッテ実質1年目の出来事だった/プロ野球仰天伝説185

 

長いプロ野球の歴史の中で、数えきれない伝説が紡がれた。その一つひとつが、野球という国民的スポーツの面白さを倍増させたのは間違いない。野球ファンを“仰天”させた伝説。その数々を紹介していこう。

激しい首位争いのさなかで……



 優勝の翌年で、ロッテが実質的なオーナーとなった初めてのシーズンでもあった1971年。この年も阪急と激しい首位争いを展開していた。

 7月13日、西宮球場での直接対決、阪急10回戦で“事件”は起こった。7回表に打者・江藤慎一がカウント1ボール2ストライクからハーフスイング。すると、球審の判定はボール。しかし、阪急の捕手・岡村浩二が「振った」とアピールすると、球審は判定を覆し、空振り三振を宣告した。

 江藤はもちろん、濃人渉監督とて黙ってはいない。30分以上の猛抗議で判定を戻すように要求したが変わらず。選手たちをベンチから引き揚げさせて結局、放棄試合をみなされ、ルールどおり0対9で敗れてしまう。日本のプロ野球ではこれ以降、“放棄試合”というのは存在していない。

 球団は罰金、制裁金合わせて500万円以上を払っており、事件の10日後、濃人監督は責任を取らされる形で更迭。江藤は最終的に首位打者を獲得し、史上唯一の“両リーグ首位打者”となるが、野村収との交換で大洋に移籍することになる。

 そして太平洋の選手兼任監督を経て、76年にロッテに復帰するが、69試合で打率.229と低迷し、現役引退した。

写真=BBM
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