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球界デキゴトロジー/6月28日

職人・平野謙が犠打の日本記録更新(1990年6月28日)

 

球団から贈られた花束を手にファンの声援に応える平野


 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわってその日に何があったのか紹介していく。今回は6月28日だ。

 2017年はセの犠打が624、パが704となっている。
 最初から話が脱線し恐縮だが、送りバントが代名詞だった巨人土井正三のシーズン自己最多犠打は、ラストイヤーとなった1978年の27。
 65年から73年までの、いわゆるV9時代では、ほとんどが20犠打以下と意外に少ない。この期間、チーム全体でもリーグ最多は66年のみ、逆に70年はリーグ最少の65犠打だった。

「石橋をたたいても渡らない」「バントばかりでつまらない」と言われた川上哲治監督時代の巨人だが、実際の戦いは違っていたのかもしれない。

 これについては生前に土井に質問したことがあるが、「僕はふつうに打ちにはいかなかったからね。バントの構えで投手をダッシュさせたり、わざとファウルにしたこともあった。それで多く見えたんじゃないかな」と話していた。

 送りバントの急増は80年代半ばからだったと思う。その象徴が世界最多533犠打を誇る巨人の川相昌弘と日本プロ野球史上通算2位の451犠打の中日西武平野謙だった。

 犠打記録は、決して派手なものではないが、常に優勝争いの渦中にあった強豪チームで、打撃(特にパワー)に課題がありながらも、守備走塁を武器にスタメンをキープした証しとも言える。

 1990年6月28日は、のちに自分も川相に抜かれてしまうのだが、35歳の平野が当時、元阪神吉田義男が持っていた最多犠打記録265を抜いた日だ。

 6月22日、ロッテ戦で吉田の記録に並んだ平野は、28日のオリックス戦(西武)、初回無死一塁の場面で打席に入る。

 新記録の絶好の機会だったが、さすがの職人にも緊張があったのか、平野はバントを試みるもシュルジーの球を2球連続ファウル。たちまち2ストライクに追い込まれた。

 記録は次打席に持ち越しかと思われたが、ベンチのサインはスリーバント。
 ここで「開き直った」という平野のバントはきれいに決まって、ついに日本新記録を達成。吉田が2007試合をかけて達成した記録を約半分の1105試合で更新した。

「西武は投手陣がいいから1点の重みがある。送りバントもやりがいがあるよ。これからも一番(打者)に頑張って塁に出てもらって、記録を伸ばします」と平野は笑顔を見せた。


写真=BBM
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